映画感想:銃
恒例の手短な感想から
作り手の技量で素晴らしくなった、としか言いようがない
といったところでしょうか。
芥川賞作家でもある中村文則の「銃」を原作として、作られた本作なのですが、本当に素晴らしい出来であると思います。
特に何が素晴らしいかは明白です。
あのどうしようもない原作を傑作に作り変えてしまったことが、本当に素晴らしいとしか言いようがないのです。
ハッキリ言ってしまって、原作は石原慎太郎を何から何まで、大劣化させてパクっている中二病小説*1以外の何者でもないです。
と言いますか、中村文則という作家自体の作風自体が、「文系引きこもりが妄想世界でパンクやって自惚れているような」「今更、アプレゲールをやっている痛い中二病患者」としか言いようがない作風なのです。
たとえば、本作の銃でもそうですが、なにかとてつもない衝動を抱えた少年が、銃という「人の生死をいくらでも操れる道具」を持つことで興奮し、次第に、その中に眠っている衝動が性的な欲望等々とともに現れてくるーーという、この筋書き自体が既に「石原慎太郎の小説っぽすぎる」内容でしょう。
作中で、主人公はセフレやヒロインの女の子にあえて、怒られるように「性の悪徳」を行うわけですが、これらの行動、「陰茎で障子をぶち抜く」のと、意味合い的にはなにも違わないわけです。
そして、そんな筋書きの中で、なんとも「こじせた中二病の童貞作家の妄想」としか言いようがないリアリティのない描写が数々出てくる――言ってしまえば、魅力の欠けた石原慎太郎――慎太郎氏に喩えるのが不快ならば、もやしっ子がイキってアレックス*2コスプレしてるような内容と言い換えてもいいです。――それが本作「銃」の原作である「銃」という小説でした。
そんなしょうもない原作が、まさかここまで、見事な作品になっているとは。
これは一重に、映画の作り手たちの手腕によって、ここまでの作品になり得たのだと言って構わないでしょう。
主演である村上虹郎の中二病を中二病と感じさせない――むしろ、中二病的な言動に説得力さえ持たせ、リアリティを補強してしまっている――風体と素晴らしい演技は文句のつけようがないです。
悲劇のヒーロー気取りで、主人公がベートーベンを流すシーンなんて、あまりにも幼稚過ぎて普通ならば「寒すぎるわ!」と文句を言いたくなってしまうところですが、彼の風体、あの感じの演技で、やられてしまうと、なんだか説得力があるのですから不思議です。
去年の「武曲 MUKOKU」でも、素晴らしい演技をするなぁと思っていましたが、本作は更に素晴らしい演技をしています。
そして、もちろん、カメラワークや美術、音楽のつけ方一つ一つにまで細かい配慮と工夫の行き届かせたうえに、最後の最後で観客に思わずああっと言わせてしまう演出プランを思いついた武正晴監督も評価されるべきでしょう。
「百円の恋」で、ようやく日の目を見た武監督ですが、本作においても、評判に違わない手腕を発揮しています。
特に最後の「思わずあっと言ってしまう」演出とそこでの各役者の演技は、本当に素晴らしいです。あそこの演出のおかげで、本作は、原作のふわふわと宙に浮いた中二病的な結論やテーマを、ちゃんと「地に足がついたもの」へと落とし込めていると言って過言ではないです。
原作では、この場面、ただただ、単に主人公が中二病的な感じでコワレタ(笑)ような描写で描かれており、読んでいて、背中が痒くなってくるほどアレな感じが満載だったのですが、本作ではむしろ「壊れていた主人公が戻った」かのように演出されているのが、本当に見事としか言いようがないのです。
そして、だからこそ、「確かに、本当にこういう場面になったら、むしろ、人間ってちょっと頭のどこかで冷静になるのかもなぁ」と、実感を持つことができ、作者のマスターベーションが痛々しい物語を、ちゃんと観客の共感を呼ぶ物語へと昇華させることが出来ているのです。