映画感想:猿の惑星:聖戦記
恒例の手短な感想から
良かったけど、詰め込みすぎ感はある
といったところでしょうか。
まあ、冒頭のこの一言に尽きるかなと思います。本作「猿の惑星:聖戦記」は、本当に詰め込みすぎの一作でした。
もともと、一作目の「猿の惑星:創世記」の時点でいろんな映画の要素が混ざり合っていた、新しい猿の惑星シリーズですが、三作目である本作は更に、様々な映画のオマージュなどが、事細かに詰め込まれています。
詳しく書いてしまうと映画のネタバレになってしまうのですが、おそらく、だいたいの映画ファンが序盤の復讐から始まっていく物語の展開や、どことなくドライな描写での銃撃戦に「西部劇映画」や「時代劇映画」を思い浮かべたりしたはずです。
なおかつ、中盤辺りからは雪化粧の森林を馬で駆けていく撮影等々、ファンタジー映画を思い出すような描写、キャラクターが出てきたりもするのです。なおかつ、荒廃した建物の様相にどことなく「ポストアポカリプスもの」のSFを想起させる描写も入り込んできます。*1
つまり、中盤の時点でも既に「復讐劇で、西部劇・時代劇的設定から、ファンタジーそして、ポストアポカリプスへと変遷していく映画」なわけで、この時点でも十分なほどにお腹いっぱいの映画なわけですが……。
その上、この映画はここから先も次々と「違う映画」の顔貌を見せ、変化していくようになるのです。それは一作目でも見られた「監獄もの映画」を踏襲するような内容でもあり、「受難劇」を連想する内容でもあり、はたまた「神話」を連想する内容にもなっていきます。
メタファーも数知れず、とあるシーンは、スタンリー・キューブリックの「某共和制ローマ映画」を彷彿とさせる描写となっていますし、あるシーンは「キリスト教とユダヤ教の歴史を勉強しているような」気分にもなってきます。
それくらいに、いろんなものをギュウギュウに詰め込んでしまった映画が、本作なのです。だからこそ、実は本作の評価は非常に難しいです。あまりにもジャンルを混ぜすぎていて、なおかつ、その一つ一つの方向性が違いすぎるゆえに、映画全体として見た場合に、この映画をどう評価すれば良いのか戸惑ってしまうのです。
少なくとも、自分に確かに言えるのは、本作はどう見ても映画の尺が短すぎるということです。
前述した、様々な映画の要素たちなのですが、これらはわりと「あっさりとした味」で、煙のように出てはふわりと消えていってしまうことが多いのです。例えば、マカロニウェスタンの西部劇的な描写が一瞬入ったかと思えば、次のシーンではまた違う種類の西部劇的な描写がまた一瞬だけ入って――といった具合なのです。
話自体も無理に詰め込んでいる印象を拭えず、事実、さっき張った伏線を、3分後には回収してしまっているようなシーンも散見されます。
普段は、映画の尺は短ければ短いほどいい、と考えている自分ですが、さすがに本作のような映画に関しては「もっと尺が長い方が良かった」と言わざるをえません。なんなら、間にインターミッションを挟んで前後編合わせて3時間半くらいの尺があっても構わないくらいです。
実際、この映画はそういう「大作映画と言えばインターミッションを挟んでいた時代」の映画から薫陶を受けた箇所も多く見受けられる作品です。近年の流行りには逆らうかもしれませんが、作り手としては、そういったものに仕上げたかったのではないかと。
ここまでこの映画の欠点を書き連ねてしまいましたが、最後に言わせていただくと、それくらい自分にとってこの映画は「惜しい」気持ちがいっぱいなのです。
撮影や美術はまったく悪くなく、話の筋書きもよく考えられており、編集もかなり優秀であるこの映画の作り手たちにとって「二時間ちょっと」という尺の舞台は、まさに正しい意味で役不足だったのだと考えているからです。
次回作で、それくらいの大作をぜひ作っていただきたいなぁ、とそう思っているのです。もちろん、経済的に無理があるかもしれませんが……。