儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:この世界の片隅に


映画『この世界の片隅に』予告編

 恒例の手短な感想から

素晴らしい!でも、巷の評価は行き過ぎ…。

 といったところでしょうか。

 

 個人的に前作「マイマイ新子と千年の魔法」も、かなり好きな映画だったので、制作が発表された段階からずっと楽しみに待っていました。そういう意味では、期待通りの良い映画になっています。この映画は「マイマイ新子」のときよりも、より丁寧になった片渕須直監督の繊細な演出が光る逸品です。

 最近のリアル路線が中心なアニメ映画の描写とは一線を画す、じゃりン子チエ的というか、その系統を行く、ゆるくデフォルメされた線と、水彩画で構成されるアニメーションは、観ている人によっては懐かしい気持ちを誘うことでしょう。またある人にとっては「斬新に」見えることもあるかもしれません。……最近のアニメには、こういう"上手い"絵が大変に欠けていることが多いので。

 

 戦争をテーマにした映画として考えても、大抵の人には、目新しく映るかもしれません。なにせ、最近の戦争映画といえば、プライベートライアン等の影響のせいで、とにかく残酷描写の目白押しをしていて、こういう形で戦争が描かれることはほぼ無かったわけですから。

 実のところ、こういった戦争映画は、過去にもあったりはしたのですが。

 特に僕は「ヒューマンコメディ」を思い出しました。ヒューマンコメディというのは、アメリカの小説家・劇作家ウィリアム・サローヤンが書いた小説・及び、その小説の前に作られた映画「ヒューマンコメディ(邦題:町の人気者)」のことです。

 こちらの作品も、戦時下のアメリカを舞台に、兵士ではない普通の人々がどういう日常を生きているかを描いた作品で、手法的には非常に本作と似通っています。

 

 つまり、本作はある意味で「内容も、絵も、昔に回帰している映画」なのです。

 例えば、主演の「のん」の演技などどうでしょう。どことなく、トボケたような、ゆったりしたような語り口は、美少女版市原悦子的な雰囲気もあって、まるで「まんが日本昔ばなし」でも見ているかのような錯覚に陥りそうになります。

 映画の始まりで流れる「悲しくてやりきれない」も、その昔への回帰を起こしている現象だと言えるでしょう。自分のような若い世代は勘違いしそうになるかもしれませんが、「悲しくてやりきれない」は、フォーククルセイダーズの曲で、まったく作中の時代の曲ではありません。

 しかし、昔に回帰しながらも、この映画は確かに現代的でもあるのです。不思議なほどに、今のアニメだと分かるのです。細かい部分は、昔に回帰することなく、むしろ、今のアニメの基準を適用して表現しているせいです。

 昔っぽいが、今っぽくもある。

  おそらく、観客の大半は、そういった不思議な魅力に囚われたことだと思います。

 

 そして、その部分が良い意味でも悪い意味でもこの映画の表現をマイルド化してくれているのです。このマイルド化は……本当に良い意味でも悪い意味でも、としか言いようがありません。上記のように、大きな効果を発揮していますが、同時になにかを風化させてしまってもいます。

 その部分は、この映画のいただけないところでもあります。

 こう書かれると、多くの人は僕が銃撃、爆撃等の表現に対して言っているのだと思われるかもしれません。

 しかし、自分としては、むしろ、銃撃や爆撃をある種ファンタジー化させた表現よりも、飢餓等の状況を、しれっとマイルド化していることの方がよっぽど気になりました。映画の趣旨からしても、ここはもう少し史実に沿った極貧さを演出しても良かったのではないか、と思います。

 

 そんなわけで、基本的に傑作ですが、個人的には巷ほどの評判は言い過ぎではないか、というのが、自分の感想です。

 以上になります。

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