映画感想:羊の木
恒例の手短な感想から
原作よりも、良いかもしれない、傑作
といったところでしょうか。
羊の木は、一部で話題になっていた漫画です。犯罪者が更生して、一般人として日常生活に溶け込んでいくなかで、様々な出来事が起こっていくというその内容の特異さや、ぼのぼの等でお馴染みの漫画家いがらしみきおが作画を担当していることから、伊集院光などが取り上げ、そこから広まっていった漫画です。
本作を実写化すると聞いて、自分としては「まあ、最近の邦画って意外と実写化で良い映画撮るから、面白い映画になるかもなぁ」と思っていたのですが、その通りでした。
本作、実写版羊の木はかなり面白いです。下手すれば原作さえ超えてしまったのではないかと思うレベルで、原作が提示したテーマを深く追求することが出来ています。
実は、前述の複雑なテーマや設定からすると、拍子抜けするほどに原作は良くも悪くも大雑把であり、かなり大味な内容です。
犯罪者の描写もいい加減ですし、様々な設定にその場のノリで作ったような雑さがあり、話の終わり方も(作り手が意図している以上に)強引な面があったりもします。
原作の雑な部分は、映画にするにあたって明らかに不味い要素でした。原作はいがらしみきおのあの絵柄だから許されている部分が多く、それを単に実写にしてしまうと、観客からは「不愉快な要素」「現実離れした、感情移入を妨げる要素」として受け取られてしまう可能性が高いのです。
そこを上手に、実写にしても不快に取られないように、丁寧で繊細な設定に改変しているのが本作なのです。さすが、「桐島、部活やめるってよ」の吉田大八監督といったところでしょうか。原作を上方修正するのが、本当に上手い監督だと思います。
結果、本作では、原作の様々な設定が変わってしまいましたが、じゃあ、原作の魅力が損なわれたかというと、そんなことはまったくありません。むしろ、原作では殺人者以外の前科を持つ者もいたところを、映画版では殺人者のみにするなど、よりキツい設定を用いることでテーマをより濃く煮出すことに成功しています。
本作の象徴である羊の木には、様々な意味が付随していることは、映画からも原作からも読み取れると思いますが、特に羊の木が強く象徴しているのは、科学的に言うところの「正常化バイアス」でしょう。
羊の木とは、原作で説明がありますが、綿という植物を知らなかったヨーロッパの人たちが、綿を誤解した挙句に都合の良い妄想で作り上げた架空の植物です。映画冒頭で引用された東タタール旅行記*1の一節は、羊の木を空想して描いた一節です。
当時のヨーロッパでは、東方旅行記*2などの旅行記にて、得手勝手な妄想を「実際に見た」と吹聴して回ることが多々あったのですが、その文化の中で生まれた空想の生物が羊の木なのです。
言ってしまえば、「自分の常識と違うものと遭遇した時に、やってしまう都合の良い解釈」の果てに、羊の木という空想の産物が生まれてしまったのです。だからこそ、羊の木は「自分の常識と違うものと遭遇した時に、都合の良い方へ」考えようとしてしまう人間の性質――つまり、正常化バイアスを象徴するに相応しい木です。
本作「羊の木」では、元犯罪者たちの姿を「まさか、身近なあの人がそんな酷い人な訳がないだろう」と思い続ける人々の姿がよく描かれています。実際には、彼らが本当に罪を償って反省している人なのかどうかは、本作を見ている観客にもよく分からないように出来ています。
どの人たちも、また再犯するようにも考えられます。観客にもそれは分かっているのです。しかし、分かっていながらも「きっとこの人達は、ちゃんと生きていくのだ」と願ってしまっているのも事実なのです。
もちろん、それだけには留まりませんが、本作では様々な人が「自分にとって都合良いように」正常化バイアスを働かせて、物事を見ていく姿がよく描写されます。のろろという神様についての各個人の捉え方や、同じ前科者についての捉え方、きっと相手も自分と同じなのだろうと思ってしまう捉え方――それらが一気に集約され、爆発するのが本作のクライマックスなのです。
本作は、「羊の木」を「羊の木」以上に「羊の木」らしい内容として昇華させたと言えるのではないでしょうか。