儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -


『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』予告

 恒例の手短な感想から

面白いが、とてつもなく歪な出来。

 といったところでしょうか。

 

 

 今の京都アニメーションの状況を鑑みると、このようなレビューを書くことは大変に心苦しいのですが……しかし、本作が作品として歪な出来になっていることは指摘せざるを得ない状態です。

 面白いことは面白い映画でした。しかし、その面白さよりも本作はテーマや、話の構成のヘンテコさが異様に目立つのです。

 

 これは決して、京都アニメーション自体が抱えている問題ではありません。

 このブログでも、何度か京都アニメーションの映画は取り上げていますが、そのいずれも「映画という形式に対して、明らかに話の構成がおかしい」などという内容ではなかったからです。

 

 つまり、本作の問題点はどちらかというと、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品自体が抱えている問題点が露呈している結果だと言えます。



 白状しますが、自分はそもそもヴァイオレット・エヴァーガーデンというシリーズ自体が苦手です。

 京都アニメーションが製作されているヴァイオレット・エヴァーガーデンというアニメシリーズ――確かにクオリティは高いアニメシリーズであることは疑いようがないのですが、根本的な話のテーマや、筋書き、設定など、どうしても自分の中でモヤモヤするものところがあり、どうしても「苦手だなぁ」という印象を拭えないのです。

 

 いわゆる西洋文化の古典的な作品をリスペクトしたいのか、あるいはそれを破壊したいのかよく分からないどっちつかずの雰囲気を作品全体がまとっているところ、変に感動的な話にしようとするところ、自立した女性を描きたいのか描きたくないのか中途半端なところなど、このシリーズは一体なにがしたいのでしょうか。



 本作も、やはりそのような作品になっており、自分としてはとてもモヤモヤした感覚を覚えるのです。

 

 特に本作に対してモヤモヤとした感覚を覚える理由は、その話の構成のヘンテコさ加減です。

 90分以上も尺のある映画で、その前半が過去の回想という構成は、相当に異様な構成です。ハッキリ言って、前衛芸術系の映画かと言いたくなるようなおかしな構成となっています。

 

 詳しく内容を解説すると、前半の話は、ほぼシェイクスピアの喜劇「じゃじゃ馬ならし」の話をオマージュしているだけの話となっています。ただ、「じゃじゃ馬ならし」は今の時代的には女性をバカにしているとも受け取られる内容なので、不味いと判断されたのか、本作は喜劇というよりは女性同士の愛情に限りなく近い友情劇となっています。

 そして、喜劇じゃなくなり、いわゆる百合的なエンタメになった「じゃじゃ馬ならしの話が駆け足気味で一通り紡がれ、話が終わったところで、後半になって話が現代に戻って、新しい話が始まるわけです。

 

 前半をわざわざ「じゃじゃ馬ならし」オマージュにしたんですから、この後半の話も、前半の「じゃじゃ馬ならし」と似通った話になって、前半と後半を対比させたり、あるいは別にシェイクスピア劇のオマージュでもするのかな……と思いきや、後半はまったく違う話になってしまいます。

 

 後半の話は、シリーズのキャラクターたちが話に大きく関わり、手紙をキーにした話の展開になるのです。

 これは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンシリーズ定番の形式です。

 

 そうです。本作、なんと、この後半になってから、ようやく本編の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が始まるのです。

 

 言ってしまえば、本作は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」本編の前に、微妙に繋がりがある、短編アニメが45分も付いているような状態の構成だと言えます。

 さすがに変でしょう!

 

 

 このように、本作はあちこちが変に歪な作品なのです。

 

 

 また、ネタバレになるので詳しくは言えませんが、個人的には「そのオチで、あの半分幽閉されているような生活をしているあの子に対して、『手紙があるから、生きていけるね!これで良かったね!』って、何が良い話なの? 誤魔化してるだけじゃん!」とも思います。

 

 正直、ヴァイオレット・エヴァーガーデン、そもそもコンセプトというか、原作者の考え方がおかしいんじゃないかなという気がするのですが……。

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