映画感想:22年目の告白 -私が殺人犯です-
映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』本予告
恒例の手短な感想から
普通に面白かったよ
といったところでしょうか。
各所で藤原竜也がまた殺人犯役を演じるということで、それとなくネット上で盛り上がっていた本作品ですが、実は「SR サイタマノラッパー」シリーズで有名な入江悠監督の最新作でもあります。ついでに言うと、韓国映画「殺人の告白」のリメイクでもあるわけです。
まあ……正直な気持ちを打ち明けますと、入江悠監督に対しては、個人的には「これは本当に好き」という作品*1と「これは本当に嫌いだ」という作品*2が混じってる状態でして――なおかつ、最近はあまり良い評判を聞かなかったこともあって倦厭していたのですが、なんとなく本作については気になるものがあったので、見てきました。
結果ですが、いや、なかなか普通に面白い映画でした。
本作、よく出来ています。感心しました。90年代から現在という時代設定や、それの描写も非常に良かったですし、また、時間経過をタイムラプス風の映像で見せていくところなど、演出としての工夫も多く見られ、編集や撮影を含めても全体的に(そもそも、最近の邦画は、評判に似合わず頑張りがちなのですが)良いクオリティを持っていたなと。
また、話も日本の時効に関する法律のアレやコレやなど、ものすごく細かいディテールまでキチンと考証がなされていて、こういった面でも、まったく文句がありません。
合格点どころか、普通に値段の三倍くらいは楽しめる内容になっています。それも、この映画の面白さは、結構「元の韓国映画とは関係がない面白さ」を孕んでいるのではないでしょうか。
つまり、端的に言ってしまって「他力本願」で面白い映画を作ったのではなく、自力でちゃんと面白い映画に出来ているのではないかと。
リメイク元の「殺人の告白」については、自分は、なんとなく、あらすじのみを人から話として聞いているだけなのですが、まあ、正直、本作品と「殺人の告白」は似て異なる別作品と言ってしまってよいかと思います。あらすじの段階でも、それくらい話が違うことになっています。
また、そもそも、元の「殺人の告白」のあらすじ自体、実はミステリーとしては結構ありがちな筋書きで、正直、この手の「逆転劇」は日本のミステリー小説でも嫌になるほど見かけます。その程度のものです。
正直に言いますけど、上記の予告編を見た段階で「これ、藤原竜也が実は〇〇っていう筋書きなんじゃ……?」と想像した人も多いのではないでしょうか。で、実際本作の内容は、一切その予想を裏切りません。本当に藤原竜也が実は〇〇という筋書きです。
映画本編を見てても、もう開始三十分くらいで「あぁ、こいつが本当の〇〇なのね」というところまで、なんとなく分かってしまうほどに、実はミステリーとしては古典的なネタです。
しかし、それでも本作は面白いのです。
元の韓国映画はアクションが大炸裂した内容として面白いようなのですが、むしろ、本作はアクションが控えめとなっており、むしろ人間模様や、周囲の人間の反応などのドラマ性、あとは見ていても苦しい殺人描写などの見せ方によって、グッと観客に「悔しい」という感情を覚えさせることで、深く物語へ感情移入出来るように作られています。
また、作品自体のテーマも元の映画とは異なる結論に変遷しています。*3それは、ある場面などにクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」そのものなテーマと、演出や描写を持ってきていることからも明白です。
まあ、個人的には「今更、ダークナイトなのか」と問いたくなるところはあるのですが……ただ、日本のダークナイトオマージュ作品としても、結構本作は優秀な方です。
かつて三池崇史監督の映画で「藁の楯」という映画がありました。*4あれが、日本で散見されたダークナイトオマージュ映画では「ギリギリ良いほうかな?」という出来でした。が、本作は、あれよりもずっと、遥かにダークナイト的な映画としてちゃんとしています。
つまり、日本のダークナイトオマージュ映画の中では、間違いなくトップの出来なのです。
そういった様々な観点から考えても、本作はスタッフたちが、入江悠監督が、プロデューサーが「頑張って面白い映画作ってやるぞ」と意気込んだ、その意気込みでここまでのものに仕上がったと言えるのではないでしょうか。
映画感想:美しい星
恒例の手短な感想から
人は選ぶが、心掴まれたら、もう最高
といったところでしょうか。
実のところ、今作、自分はそこまで大きく期待していませんでした。
本作の監督、吉田大八氏は「桐島、部活やめるってよ」で、映画ファンの間で、その名を轟かせた監督です。ですが、イマイチ「桐島、部活やめるってよ」以外の監督作品で、パッとしたものがありませんでした。
個人的には「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」も「クヒオ大佐」も、全体的には良い出来なのに、最終的には「なんかなー」と言いたくなるところがあります。言ってしまえば「個性の押し売り」がうるさい、という評価がよくあっているのかもしれません。
これは、最近の名のある映画監督ならば、全体的に当てはまることなのかもしれませんが。
しかし、それでも本作「美しい星」は素晴らしい出来栄えです。いえ、むしろ、個性の押し売りがうるさい監督だからこそ、本作を素晴らしい出来栄えに出来たのかもしれません。ともかくとして、本作は見る人が見れば、ガッチリと心を掴まれてしまうであろう愉快な一作です。
原作は宣伝にもある通り、三島由紀夫のSF小説なのですが、非常に作品としては「逆噴射家族」や筒井康隆原作の諸作を思い出す、どこか懐かしささえあるような、往年の邦画を思わせる内容となっています。
また、リリー・フランキーの怪演を中心とした、各役者陣の演技も手伝っていることや、平沢進の音楽が大きくフィーチャーされていることもあって、今敏監督のアニメ映画を連想させる場面も多々あります。
突然と、自分たちは火星人や金星人や水星人の生まれ変わりなのだと言い出した家族を中心に、次々と「本当に起こったのか起こってないのかよく分からんない」超常現象が起こり、様々な思惑が交錯していく内容は、ドラッグムービーと見紛う出来栄えであり、おそらく現在、映画館で上映されている映画の中では「夜明け告げるルーのうた」と並んで、作り手たちがキマってたとしか思えない一作でしょう。
間違いなく、あの系統のトんでいる映画が大好きな方は、本作は相当に好きなはずです。自分としても、正直に言ってしまえば、あの「桐島、部活やめるってよ」よりも遥かに好きです。意味の分からないところも含めて、素晴らしい一作でしょう。
もちろん、そういった「訳の分からないもの」を倦厭する方からすると、本作はだいぶつまらないものに感じてしまうかもしれません。
ただ、本作は実のところ「極めてシンプルな話」をしていることに気づけると、そこまで「なにもかも、訳が分からない」という映画でもないと思います。
まず、本作ですが――そもそも、原作の時点でそうなのですが――大抵の評において「政治的な皮肉が入っている」だのとか、「世の中の寓話化」だのとか語られることが多いように思いますが、むしろ、三島由紀夫という作家を考えると、それらは"賑やかし"として入れられていると考えるのが妥当ではないでしょうか。
つまりは、ただ、小説の飾りとして入れられているに過ぎないのです。実際、皮肉の意も入れていたのでしょうが、そちらは本筋ではないでしょう。
むしろ、本作の本質は、タイトルにハッキリあるように「美しい」にあるのです。
三島由紀夫といえば、代表作である「金閣寺」でも分かるようにこの美意識というものにうるさい人でした。
むしろ、うるさいどころではなく「世の中が忘れてしまった。世の中が失ってしまった"真の美しさ"というものを、自分はよく知っているのだ」と考えていた、そんな作家だったと言っていいでしょう。
こう聞くと、この映画を見た方はハッとする方も多いのではないでしょうか。
そうです。実のところ、この映画で行われていた数々のやり取りは「その人が信じている美しさ」の競い合わせに過ぎないのです。
[自分はこれが美しいと思っている、あいつはこれが美しいと思っている、どちらが真の美しさなのか]という、ただそれだけの話をしているのです。
だからこそ、自分はこの記事の冒頭で「個性の押し売りがうるさい監督だからこそ、素晴らしい出来栄えに出来た」と書いたのです。この映画が風刺しているのは、実は環境問題でも、経済でもなく、自意識過剰な社会なのです。
「自分が世の中の誰よりも、誰もが気づかない美しさを感じているのだ」という、過剰な自意識を持つ人々、そのものを風刺しているのです。
実はそういう意味では、本作、アレハンドロ・イニャリトゥの「バードマン」に極めて近い作品です。
果たして、彼らは本当に異星人であったのでしょうか。
彼らの信じる美しさに真相はあったのでしょうか。
それは、少なくとも、この記事を書く自分にはよく分かりません。
映画感想:武曲 MUKOKU
恒例の手短な感想から
頑張ってるから、貶したくないのに…でも、糞だわ
といったところでしょうか。
正直、映画の作り手は誰も悪くないと思っています。
撮影や演出、脚本、細かい衣装に至るまで全てがかなりのクオリティで作られています。実際の剣道シーンも悪くありません。役者陣もまったく悪くありません。
それどころか、いつもどおり、ヤサグレた演技が上手い綾野剛はもちろんのこと、それとまったく張り合えるほどの立ち振舞と演技を見せた村上虹郎、どちらも素晴らしかったと思っています。前田敦子も悪い演技をしていません。むしろ、作品の基調に溶け込んでしました。
脚本も序盤などは、かなりテンポ良くまとめられていて、至って普通のやり取りで、ありがちな筋書きをなぞっているだけなのに、不思議と画面に惹きつけられてしまい、魅入ってしまうほどによく出来ています。
撮影も、映画としての美しい構図や絵を心がけた、こだわりの感じられるクオリティであり、感嘆することはさすがにありませんでしたが、悪いところは特に見当たらず頑張ったんだなぁと思わせるものでした。
演出も少し過剰すぎるところや、ちょっと機械的に感じてしまう変なところもありましたが、序盤の父親の髭を剃るところなど、思わず見ていてハラハラさせられるところがあったり、脇役の細かい演技にまでキチンと気を使っていたりと、ちゃんとリアリティを感じられるクオリティになっていました。
音楽もわずかに出てきたのみでしたが、これも悪くありませんでした。
特に序盤のラップシーンの音楽が素晴らしく――まあ、言ってしまえばモロにFlying Lotusそのものな出来なのですが*1、しかし、そもそもFlying Lotus系の音楽をここに持ってきたセンス自体が、優秀です。凡百の人ならば、ここにいかにもステレオタイプな、なんなら「チェケラッチョ」とか言い出すような音楽を持ってきかねないところですから。
ここまで、褒めるところがいっぱいあるのです。
素晴らしいところがいっぱいあるのです。
しかし。
それでも、本作はかなり見ていてつまらない出来です。これはもう一重に言って「原作がクソすぎる」と言ってしまって良いのでしょう。それ以外にまったく悪い箇所が見当たらないからです。
むしろ、これだけ優秀な人達が揃いも揃って、全力を出しまくってもなお、このレベルの出来に終止させてしまったのですから、罪と業の深すぎる原作だと言えるでしょう。
薄っぺらすぎる仏教への理解。どっかで見たような親子関係で、どっかで見たような人物が、どっかで見たような苦悩をするだけの内容。話のご都合で、いつの間にか登場しなくなる登場人物までいる始末。
「糞は磨いても糞にしかならない」ことを、よく証明したと言えるでしょう。
5月見た映画
いつもの如く、鑑賞した映画を挙げていきます。
・空飛ぶゆうれい船
・アンデルセン童話 にんぎょ姫
・SING/シング
・メッセージ
・帝一の國
・劇場版 ムーミン谷の彗星
・スノーマン
・魔犬ライナー0011変身せよ
以上、10本です。
今月の記事数は四本。……案外、書いてますね。今年の最初らへんで躓きまくっていた分、反動で自分の映画熱が上がっているのかもしれません。
Amazonビデオ……プライムに入っていると便利すぎてしょっちゅう利用してしまいますね。特に昔のアニメ映画を鑑賞するとなると、これが最適すぎるのです。
ちなみに、そろそろ今年の上半期も終わりますが、既に上半期ベスト10位まで埋まっています。
意外に、邦画も洋画も選んで鑑賞すれば豊作というのが今年の映画傾向です。
選ばないと「うーん」な映画も多いんですけどね!
映画感想:帝一の國
恒例の手短な感想から
最高じゃねぇか!
といったところでしょうか。
上記予告編を見た段階で、なんとなく気になっている映画ではありました。本作「帝一の國」。上手く言えないのですが、映画館で予告編を見ているうちから画面の作りがしっかりしている印象があったのです。
ひょっとすると、少しくらいは面白い映画なのかもしれないなぁと、頭の片隅で「帝一の國」の名前をインプットしていたのですが、いや、本作、かなり面白いです。ここまで面白いとは予想していませんでした。
まずなによりも、やはり、画面の作りがしっかりしているところが素晴らしいです。
本当に海帝高校が実在するのではないかと思わせるレベルで、美術が作り込まれています。いえ、高校だけでなく、登場人物たちの衣装や、髪型はもちろんのこと、小さい小道具に至るまで全てが、ビジュアル的に納得できるレベルまで仕上げられているのです。
おかげで、かなりありえない設定で、かなり性格が極端すぎる登場人物たちが出てくるというのに、不思議と映画を見ているうちに「ありえるかもしれない」と思えてしまうのです。
画面が、この映画の説得力を補強しているのです。
そして、その上で登場人物たちの描き方も上手いのです。
いわゆる、自分が散々に邦画で辟易していた「説明的なセリフ」というものが、本作では滅多に出てきません。しかし、本作は見ているだけで、登場人物たちの性格や関係性まで把握できるようになっています。
これは演じる役者たちの演技力が素晴らしいのはもちろんのこと、例えばちょっとある人が行動したシーンで、ワンカットだけ、他の人が表情を変えるカットを入れたりすることで、自然と「この人と、この人がライバル関係なのか」と観客に把握できるように作り手が工夫しているためです。
ここまで極端な、ステレオタイプの、大味そうなコメディ映画なのに実は、細かいところの気配りが良く出来ているんです。
細かいところの気配りで言うと、伏線等の張り方も素晴らしかったです。わざとらしく「はい。これ伏線ですよー」と思わせるような撮り方はせず、本当に一瞬だけ登場人物に伏線になることを言わせたりしているだけなのです。
しかし、だからこそ、「アレ、伏線なのかよ!」と分かった瞬間の意外性が大きく、素直に「やられたー」と思えてしまうのです。
そして、なによりも、普通に話が面白かったです。
特にクライマックスの選挙シーンは、本当に話の運び方と、編集の仕方、そして、そのクライマックスに持ってくるまでの登場人物たちの心の揺れ動きの描写の積み重ねが上手く、ただの生徒会の、それも、たかだか規模にして100名以下の人しか投票しない選挙の、投票シーンなのについつい手に汗を握って見てしまうのです。
本来、どうでもいいはずのシーンにここまで緊迫感を持たせられたら、もう映画としては申し分がありません。
――というか、こういう映画をこそ、傑作と呼称すべきでしょう。
そして、全体の筋書きもキチンとしており、映画の基本である「主人公の挫折」をちゃんと入れ、そして、そのくだりになって初めて、それまで一切思いを言ってなかった帝一が本当の思いを明かす構成にしているなど「一体、作り手が何を描きたくて、何を観客に見せたいと思っているのか」が、ストレートに説明無しで伝わってくる出来になっています。
最後に、"更にちょっと捻ったオチ"を持ってくるところも良いです。そのおかげで「少し長いな」と感じたエピローグ部分が、「あ、このオチのためだったのか」と納得できてしまい、エピローグが長くても許せてしまうのです。
まあ、あえて言うなら、この映画は欠点として、少し序盤の描き方というか、観客の映画への引き込み方が上手くないところがあるのですが……それを加味しても、長い尺を感じさせない素晴らしい出来でした。
映画感想:夜明け告げるルーのうた
恒例の手短な感想から
この映画、相当すごいけど、相当に人を選ぶぞ!
といったところでしょうか。
「夜は短し歩けよ乙女」――今年、上映されたアニメ映画の中でも、間違いなくトップレベルの素晴らしい映画でした。その監督は、このブログでも紹介したとおり、湯浅政明監督なのですが、その湯浅政明監督が、なにをどうトチ狂ったのか「夜は短し歩けよ乙女」と微妙に被り気味な感じで出してきた映画が、本作「夜明け告げるルーのうた」になります。
しかも、本作は湯浅政明監督の完全オリジナルだというのだから、トンデモナイです。実のところ、湯浅政明監督のオリジナルアニメーション映画は、本作が初めてで、公開される前から「原作があってもあれだけぶっ飛んでる作風なのに、オリジナルになるとどうなってしまうのか」という、期待と不安でいっぱいなのですが……。
ハッキリ言って、その不安も期待も、両方見事に当たっていたとしか言い様がない出来でした。
本作、良い意味でも、悪い意味でもトチ狂っていること、トチ狂っていること……このトチ狂い方は、イルミネーション・エンターテイメントの3Dアニメと比べても圧勝するレベルでどうかしています。
出てくる登場人物たちは、誰も彼も「一体、なにを考えてるんだ?」と見ている端から疑問しか出てこないほど、唐突に謎な行動をしてきますし、なによりも、この映画で一番、何が訳が分からないって、主人公が一番訳が分からないのです。
この人、やたら無口でだんまりを続けているかと思えば、急に明るくなってケラケラ笑いだしたり、踊りだしたり、かと思えば急にまた無口になったり、もうよく分からない! 誰が見ても心理を理解できないであろう、かなり特殊な性格になっています。
しかし、本作は正直に言ってしまうと、そんなことはどうでもいいのです。主人公がそこそこ「……ヤッてるんじゃね?*1」と思えてしまうような性格だろうが、どうでもいいのです。
普通の映画では、そんな性格の主人公なんて気になってしょうがないと思いますが、本作の場合は、そんなことがどうでも良くなるほど、他にもいろいろとおかしな事が起こるので、どうでもいいのです。
一例を挙げれば、あるシーンでは
「しかも、エレキギターの音がした直後で、普通のウクレレの音もします」
あるシーンでは、こんな会話もあります。
「魚も人魚になるらしいわよ」
訳が分からないと思いますが、実際、この映画ではそういう場面が出てくるんだからしょうがないのです。ツッコミどころは満載です。全てのシーンが説明不足すぎて「なんで、そうなったの? なんで? なんで?」と疑問符が亜光速で頭の上を駆け巡ることにもなります。
しかし、それでも、本作はなんだか凄いのです。なんだか楽しいですし、なんだか最後は泣けます。かなり泣けます。訳分からないけれども、感情をワッと強く動かされるのです。
アニメーションとしても、かなり凄い出来栄えで、冗談抜きでダンボのピンクエレファントパレードが10分に一回は出てくるくらいの内容となっています。なんというか、究極にフェティッシュで超現実的な、"感触"だけを追求したアニメーションでもって、湯浅政明監督が考えた「頭のおかしいアイディア」を、数珠つなぎにしている感じです。
そういう意味では、本作は、湯浅政明監督がかつて参加した作品「ねこぢる草」に非常に似ています。「ねこぢる草」は佐藤竜雄監督のOVA作品なのですが、あれも佐藤竜雄監督が思いついた「頭のおかしいアイディア」を逐一、湯浅政明監督に教え、それでイメージを作っていって、それらを数珠つなぎにしたものでした。
ただ、ねこぢる草と比べると圧倒的に、本作は明るいのです。対極に位置するほどに明るく、楽しい作品となっています。
楽しくて、どうかしているレベルで明るい分、余計に「作り手たちは、なにか*2でキマってたんじゃないのか」とも思えてしまうのですが……。
そういうわけで、本作は、自分は大変に好きなのですが、それと同時に他人にはそう簡単にオススメしません。
圧倒的に普通の人達は「夜は短し歩けよ乙女」を見たほうが良いです。アレも見て、マインドゲームも見て、それでも物足りないという人に、本作はオススメなのです。
映画感想:メッセージ
恒例の手短な感想から
文句はないが、感慨も特にない
といったところでしょうか。
まあ、その程度の映画かなというのが本作への感想です。テッド・チャンの「あなたの人生の物語」を原作としている本作ですが――そもそも、テッド・チャン原作の時点でそうなのですが――まあ、「妥当な」「順当な」「そこそこな」出来ではあるけれども、それ以上の出来ではない映画が本作です。
映画の宣伝などでは、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が「新しいSFの映画なんだ」的なことを言っていますが、実のところアイディアとしては、新しいどころか、むしろSFとしては、ありきたりと言い切ってもいいくらいの、普通の映画です。
元も子もなく言ってしまえば、オチあたりはヴォネガットあたりがよくやっていたようなことを、単にやっているだけの映画でして――というか、どう見てもスローターハウス5ですよね、これ。「スローターハウス5」にも映画版がちゃんとあるんだから、それ見ればいいじゃないですか、って思っちゃうのは僕だけですかね。
唯一、原作で新しいアイディアが凝らされているのが「言語」に関してで、逆に言ってしまえば、その、宇宙人の言語に関しての考察が面白かったから原作はそれで良かったのですが、本作は……。
どう考えても、力の入れるところを間違えたとしか思えないのです。
この映画を奇特なものにしたいならば、どう考えても「宇宙人の話す言語を理解する過程」にもっと力を注いで映像化するべきだったように思います。その一点のみが、唯一、原作の時点で「斬新」と感じられる点であったのですから。
ですが、本作はドゥニ・ヴィルヌーヴ監督がなにを勘違いしたのか「幼年期の終わり」や「2001年宇宙の旅」*1あたりから、SF史に連綿と続いている"地球人の常識を超えた超宇宙生命体"がやってきて、人類にどうこうする話の"類型"でしかない部分をクローズアップしてしまったのです。
しかも、クローズアップして描くにしても、描き方自体があんまりにも普通なのです。
どういうことかと言いますと、この映画、ある理由から時系列が錯綜するような構成で作られているのですが、2017年の映画だと言うのに――あるいは、映画の作り手たちも、時間から開放されて過去を忘れてしまったのか――今までの時系列が錯綜するタイプの映画と比べても、「錯綜」のやり方が雑なのです。
例えば、無理やりに現在の時間に、未来の音声やらを流して未来の映像をフェードインさせようとしてたり、未来から現在に戻すときもだいたいが、主人公がハッと夢から覚めて戻るシーンばかりだったり、雑なのです。
前述した映画版の「スローターハウス5」と比べても雑です。またそれ以外の、時系列が錯綜するタイプの映画と比べても……。
例えば、このブログで紹介した映画で言えば、今敏監督の「千年女優」、ヴォイチェフ・イエジー・ハスの「砂時計」などからすると、比べ物にならないレベルで本作は雑です。この二作がいかに上手く、見ている側の時間の間隔を狂わせるレベルで、時系列を錯綜させていることか。
本作を見終わっても「あれ、今って、今だよな? 今じゃないわけないよな?」とか、そんな混乱したような思考をすることはないでしょう。多少、複雑な構成に頭を使うことはあったとしても。
とはいえ、悪い映画ではないです。撮影や、話の展開などに難はないですし*2普通にお金払って、普通に見て、普通に納得して帰る分には、なんら問題がない映画です。
ただ、期待している方は、あんまり期待しないほうが良いかなと思いますが……。