儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:三度目の殺人


『三度目の殺人』本予告 9月9日(土)公開

 恒例の手短な感想から

んー。ちょっと極論過ぎだなー。でも映画としては良作。

 といったところでしょうか。

 

 是枝裕和監督の中では、かなり意欲的な作品と言っていいと思います。

 本作、三度目の殺人はそれくらいに今までの是枝裕和監督作品からすると、かなり路線を変えた作品です。それまでの是枝裕和監督作品と言えば、どちらかというと日常的な人間模様の中で、どこか笑えたり、ゾッとする瞬間など、人間の心の有様を重点的に描いていくヒューマンドラマが主な作品ばかりでした。

 ですが、本作は殺人事件を主体とした、サスペンスになっています。もちろん、是枝裕和監督らしさが損なわれていることはないのですが、今までの諸作品と比べるとだいぶ異質な作品であることは間違いないと思います。

 

 作品の雰囲気も、前作「海よりもまだ深く」では島尾敏雄の小説を意識している様子が取れましたが、本作はどちらかというと、ドフトエフスキーとヘルマン・ヘッセを足して割ったような雰囲気が滲み出ており、明確に何もかもが違うと言えます。

 まあ、この路線変更自体は良いことでしょう。前作「海よりもまだ深く」は、結構、設定や話の筋書きが、今までの作品にやたら似ている部分が多く「もうネタが無いのかな」ということを伺わせる出来でしたから、路線変更も仕方ないのかなと。

 

 ただ、今までの是枝監督作品が好きな方は、少し合わないと感じられることもあるかもしれません。

 

 自分としても、あまりにもドフトエフスキーすぎるというか、ドーンととにかく暗い雰囲気なうえに、裁判の厳かな感じや、それに関連したテーマなどの出し方などから「いやー、なんか小説にしたら相当に古いなーこれ。古すぎてちょっとダサいなー」という印象を覚える部分もあります。

 意外と是枝監督、前作の「海よりもまだ深く」でもその気がありましたが、考え方がなんか古いんですよね。90年代とか2000年代っぽい考え方をしてしまう人なんです。2010年代からしてみると「いやいや、それちょっと極論すぎでしょう」という考え方をしてしまうのです。

 

 それはこの映画の「訴えたいこと」にもよく現れています。本作を鑑賞した人たちは、おそらく誰もが「え、こんな終わり方で終わるの?」と驚いたはずです。物語としてはだいぶ、消化不良というか、不完全燃焼のまま終わってしまう物語だからです。

 これは、明らかにあえてそうしています。

 この映画を見終わった後、おそらく、あなたはこう考えるはずなのです。「あの犯人はきっとこうだったに違いない。そして、この映画はこういうことを言いたかったに違いない」と。

 人によっては、この映画は裁判の理不尽さを訴えている話であるように感じるかもしれません。あるいは、卑劣な殺人犯にみんなが騙されている話であるように感じるかもしれません。あるいは、正しい人が過去の過ちのせいで理解をされない話であるように感じるかもしれません。

 とにかく、言えるのは人によってこの映画の解釈は千差万別になるだろう、ということです。

 

 そして、そのあなたがこの映画に対して「この映画はこうに違いない」と考えている姿ーーそれはまさしく、この映画に出てきた殺人犯に対しての、周りの人間たちの様相と一致します。

「あの人は絶対やったに決まっている」「やってないに決まっている」「あの人は自分を守ってくれたに違いない」ーー映画中の登場人物たちは、証言を二転三転させる殺人犯に対して、様々なことを考え、様々に「自分がそう思いたいこと」を彼に押し付けてきます。

 この映画の登場人物たちは「あいつはこういう殺人犯であってほしい」と思っていることを、ただ言っているだけに過ぎないのです。

 映画の最後に出てくる「あなたは器なんだ……」というセリフにも、それはよく現れています。

 

 そして、この映画もそうなのです。この映画も器なのです。

 「この映画に対して思ったことは、あなたがそういう映画であってほしいと思っているに過ぎない」ーーつまり、この映画はそういうことが言いたいのです。

 そして、この僕の感想も同じです。この映画で最後に主人公が「あなたは器なんだ」と言い放つと、殺人犯はこう答えます。

 「器ってなんですか?」

 つまり「器だと思うことさえ、器だと思いたい自分を表しているに過ぎない」ということです。

 

 で、自分からすると、こういうトートロジー的な何かで「だから真実なんて誰も分からないんだよ」と斜に構えるのが、まあ、ちょっと古いなと思うのです。

 確かに物事は、時にそうなってしまうこともあります。しかし、そればかりでもないでしょう。別に自分の言ったことや考えたことが、自分の思いや心理を表していない、「そう思いたいなんて思ってない」ことも多々あるわけです。

 

 まさに本作の訴えたいことは極論が過ぎるわけです。

 

 ただ、それでも本作は良い映画でした。なんだかんだ言って、是枝監督らしい細かい気配りの聞いた演出などは、相変わらずよく出来ています。特に主人公がだんだんと逮捕された殺人犯に共感していってしまう描写などは本当に巧みです。

 また、一体何が真実なのかまったく分からなくなっていく筋書きも、なかなか良かったかなと。*1

 

 前述のテーマも……まあ、ちょっと厳し目なことを書きましたが、一理ある事はあります。それも事実です。なので、普通に鑑賞していて、そこまで気になるものでもないのかなと。

*1:……ただ、最近、わりとこういう物語って、小説等々のメディアでありがちなんですけどね。

映画感想:スキップ・トレース


『スキップ・トレース』予告編/シネマトクラス

 恒例の手短な感想から

ジャッキー、もう限界なんじゃ……?

 といったところでしょうか。

 

 いや、それなりに期待して観に行ったんですけどねー。思った以上に酷い映画でした。いえ、面白くないと言うつもりはありません。それなりに面白い部分もあったことはありました。

 ただ、この映画の面白い部分というのが……もうジャッキー映画としては致命的にダメな状態なんです。

 

 ジャッキー・チェン映画といえば「ポリス・ストーリー」や「ラッシュ・アワー」などに代表されるように「ポリス・サスペンス・カンフーアクション」が売りでした。

 もちろん、若手の頃はクンフー主体の映画が目立っていましたが「ハリウッドスターになった後のジャッキー・チェンの映画」といえば、もう誰もが脳裏に、上記のサスペンス・アクション映画を思い浮かべるはずです。

 どんな作品にしても、どんなに基本設定や会話場面の演出がつまらない作品であっても「サスペンス・アクション」だけは抜群に面白い!――それがジャッキー・チェン映画であり、むしろ、それを抜いてしまったらジャッキー・チェン映画じゃないだろうと思えるほどでしょう。

 

 だからこそ、本作、スキップ・トレースはかなり致命的なのです。

 

 実は、本作、「サスペンス・アクション」の部分が致命的につまらないのです。映画において、サスペンス的に、あるいはアクション的に盛り上がりやすい、序盤や終盤がとにかくつまらない出来であることからも、それは断言できます。

 数分前の会話とさえ、整合性が合わないダメすぎる筋書きはもちろんのこと、サスペンスを盛り上げる演出や、それを撮っているカメラのショボさなど、ありとあらゆる要素が、本作のサスペンス・アクションをつまらなくしています。

 その上、ジャッキー・チェンのアクション自体、全盛期や往年の勢いがまったく感じられない状態となっていることが、状況の悪さに拍車をかけています。本当に「ジャッキーも歳なのだなぁ」と思わざるをえないほどで、例えば、蹴り一つを入れるだけでも、かなりヨロヨロしているのです。

 アクション自体もクオリティがかなり下がっており、今までのジャッキー映画を劣化コピーしたような内容がずっと続くのみ。実際、制作現場でもジャッキーだけではアクションを盛り上げるのは無理だと判断されたのか、クライマックスはあんまり話と関係ないキャットファイトやら、銃撃戦でかなり誤魔化しています。

 この状態なので、正直、この映画で「ジャッキー映画を見た」という気分になるのは無理です。どれくらい無理かというと、「まだツインズ・エフェクトを見た方がジャッキー映画を見たという気分になれるだろう」というレベルです。

 

 このように、まあ、ジャッキー映画としては、かなり限界の見えている本作なのですが、冒頭でも言ったように一応面白さもあることはあるのです。

 それは、野郎二人がいろんな場所へと旅していく、珍道中映画としての面白さです。かなり内容としては、馬鹿馬鹿しい場面とギャグが多いのですが、まあ、この部分は普通に面白いかなと。

 正直、どうでもいいサスペンス部分と「お前、整形しすぎだろ」と言いたくなるような顔をしている女優さんを取り除いて「ハングオーバー」みたいな映画にしたら、もっと面白かったんじゃないかなぁ、これ………。

8月に見た映画

・ウィッチ


『ウィッチ』予告編

咲-Saki-


映画『咲 Saki 』 60秒予告

・ベイブ

ベイブ [DVD]

ベイブ [DVD]

 

 ・ティム・バートンのコープスブライド

スパイダーマン:ホームカミング


映画『スパイダーマン:ホームカミング』予告①

 ・スターシップ9


『スターシップ9』予告編

・パラノーマン ブライス・ホローの謎

 

以上、七本になります。8本鑑賞する予定だったのに、計算を間違えてしまって7本です。その代わり、記事数は四本。結構、7月は書きました。

 

 ちなみに、実写映画版の咲ですが、わりと画面のクオリティに目をつぶれば、映画としては結構面白かったです。意外とオススメ映画です。

映画感想:スターシップ9


『スターシップ9』予告編

 恒例の手短な感想から

微妙

 といった感じでしょうか。

 

 初めからそんなに期待して観に行ってなかったのですが、やはり、そんなに大した内容ではなかったことに、軽くガッカリしています。今はそんな気分です。

 「スターシップ9」

 タイトルからしてSFの映画で9という数字を冠しており、とても嫌な予感を感じていた*1のですが、中途半端に嫌な予感は的中してしまいました。

 ゴミと言うほどゴミではないけれども、1800円払ってみるだけの内容かと問われると、全くその価値はないと断言できる――そんな感じの微妙なSF映画でした。

 

 まず、この映画には、明かしてしまうと確実にネタバレになる”展開と設定”が序盤に仕込まれています。同時にこの展開そして、設定こそがおそらく、この映画の最大のウリとなっているわけですが……この"展開"がとてつもなく陳腐なんですよね。

 これを言ってしまうと、映画ファンならば確実に、どういう内容か分かってしまうので言いたくないのですが、ハッキリ言って「これ、キャビンをSF映画に置き換えただけだよね」という内容なんですよね。あとは、シャマランの「ヴィレッジ」とか。まあ、探せばいくらでも見つかるような、大変に陳腐な展開が待っているわけです。

 低予算映画にはありがちな設定がそのまま、何の考えもなく使われてしまっているわけです。

 

 しかも、それを勿体ぶるとか、引っ張るとか、そういうこともせずにわりと、すんなり序盤で明かしてしまうわけです。おかげで、この"意外な展開"になっても「な、なんだってー!?」とか、ちっとも思えないのです。「あ、ふーん。そうなんだー。ふーん」と流してしまう程度の感慨しか沸かないのです。

 もっと、このネタバラシの場面を引っ張って、主人公たちの仲を濃密に描くとか、恋愛描写を深めるとか、伏線を張るとか、いろいろやれることはあるはずです。

 しかも、ネタバラシした後の展開も、変にチンタラしていて、ちっとも面白くありません。もっと、意外な展開から更に意外な展開を引っ張ってきて、次々に話を進めていくとか、いろいろやれることはあるだろうに、画面では、主人公がウジウジ悩んでいるだけのシーンが続いていくわけです。

 

 この時点で、相当にこの映画はつまらないわけですが、ここから先も結構につまらないわけです。まず、この映画、あんまり意味のないシーンが多すぎなんですよね。あの主人公を担当してたカウンセラーとか、初めから最後まで「一体、なんのためにこの人出てきたんだ?」と疑問に思わざるをえないほどに、話とあんまり関係がないのです。

 バーで会話している主人公の友人の医者も、わざわざ、話の主軸となっている「計画」に反対している、という描写を入れているのに、これもまったく活かされていません。

 途中、主人公がスラム街っぽいところに立ち寄っているシーンもまったく後のシーンと関係がなく「あのロケーションで撮った映像が勿体なくて、とりえず、どうでもいいシーンにねじ込んでおきました」感が半端ではないのです。

 

 まあ、辛うじて、主人公がとある人を逃したことがバレて「捕まえろ!」という展開になってからは、それなりにサスペンスもあり、面白くなったりもするのです。が、同時にこのサスペンスシーンの登場人物の言動は、どいつもこいつも「お前、微妙にさっきと言ってること違うじゃねぇか!」という状態だったりして、面白いシーンですら変なのです。

 

 オチも、なんというか……「あのさ、作り手の人たち、そいつが人殺しだってこと忘れてない?」とツッコみたくなってしまいました。あれに感動しろというのは、相当に無理があると思うのですが。

 普通に考えたら、あの子、あそこから銃殺される未来しか見えないんですが。

 

 あと、仮に人殺しであることを忘れて、百歩譲っても、あの子も母親と同じで「あの部屋の中でしか生きられない体質」なんじゃないでしょうか。

 ともかく、それくらいツッコみどころだらけで、しかも、何も解決してないオチなわけです。うーん、この映画はもうちょっと構成などを、全体的に見直すべきではなかったのでしょうか。

 

*1:SF映画で、こんな感じで9を冠する映画といえば、そうですね。プラン9・フロム・アウタースペースです

映画感想:スパイダーマン:ホームカミング


映画『スパイダーマン:ホームカミング』予告①

 恒例の手短な感想から

素晴らしい!

 といった感じでしょうか

 

 久しぶりに見たマーベル映画のような気がしますが、久しぶりに見たものがこれで本当に良かったと思っています。正直に言いますが、最近、アメコミ映画に結構うんざりしていたからです。

 確かにどの映画もコンスタントに、それなりに面白い内容なのですが、それと同時に妙なほどに暗かったり、変なほどにヒロイズムに浸りすぎていたり――なんだか同じような内容が多すぎじゃなかったでしょうか。

 いえ、もっと僕の勝手なイメージを言ってしまうと、見ている観客層がそういう人たちばっかりなのか、やたら理系やら経済系の用語を頻発しまくって、「俺様、頭いいんだぜ?(キリッ」と言いたげな雰囲気が漂っている映画ばっかりじゃないかと。

 それが僕にとっては本当に嫌だったんです。なぜなら、僕は別に映画を見て「こんな映画を見れる自分は頭が良い!」とか、そんな感慨に浸りたくはないからです。むしろ、映画中に出てくる理系用語が、明らかに誤用なことが気になって悶絶してしまう始末なわけです。*1

 

 そんな状況の中では、今作のスパイダーマンは大変に珍しい試みであると言えます。まず、なんといっても、予告編を見ても分かる通り、明らかに本作は10年代前半に流行った「ポストヒーローもの映画」の流れを汲んでいることがとても珍しいです。

 分かりやすく言ってしまえば「キックアスを、正統的なマーベルヒーローコミック映画が取り込んでみた」という映画なわけです。まさか、マーベルからこんな映画が出てくるとは想像していませんでした。その結果、本作は今までのアメコミ映画と比べても、非常に地に足がついているのです。

 

 物語に生活感があるのです。主人公が15歳で学校に通っているということもあってか、日常があり、人々の営みがあり、その上でヒーローの戦いがあるということが映画のあちらこちらで強調されています。

 実際、主人公が通う学校の生徒達の描写は、ヒーロー映画というよりは、他のコメディ映画やドラマ映画に出てくる描写に近いです。妙に搾取がどうだのと言い出す同級生や、人種の違うヒロイン、太った親友、ホームカミングパーティを話の主軸の一つに持ってくる構成などは「ハリーポッター*2」や「グレッグのダメ日記*3」「スーパー・バッド童貞ウォーズ*4」を思い出してしまうくらいです。

 

 そのおかげで、本作、なんとも主人公の周りの人間模様が面白いのです。この手のヒーロー映画では珍しく「これからこの人はどういう人生を送っていくのだろう?」と思いを馳せてしまう内容になっているのです。

 アントマンでも、こういう"登場人物の実在感"はありませんでした。あれらの映画で「まあ、言っても遠いどこかの、パラレルワールドでの、どうでもいい話だろ?」と思ってしまっている自分がいるわけです。しかし、本作は違います。

 

 そして、その結果、サム・ライミ版のスパイダーマンを見た時に感じた「このスパイダーマンを応援したい!」と思う気持ちが久々に芽生える映画となっていました。今のようなアベンジャーズとか立ち上げてないときの、一作目のアイアンマンを見たときの「頑張れ!」と思う気持ちが芽生える映画になっています。

 映画鑑賞後に、珍しく「この映画の続編が見たい!」と本気で思えた映画だったのです。*5

 

 本当に久々に良いヒーロー映画を見ました。

*1:誤解のないように言っておくと、アメコミ映画以外でも、結構この「用語の誤用」に悶絶しています(笑) 例えば、今年公開された映画なら、メッセージの「非ゼロサム」という用語の誤用には悶絶しました。ゲーム理論を理解していないのに、なぜ出すのかと。いえ、確かに両者得も非ゼロサムなんですが、両者損も、片方損で片方得でも、非ゼロサムなケースはあるんです。なのに、なんで、両者得の言い回しで非ゼロサムとか言い出しちゃったかなと。

*2:まー、僕自身はハリポタそんなに好きじゃないんですが……

*3:映画版は……クロエ・グレース・モレッツ以外魅力がないですけど

*4:これは本気で好きです

*5:去年のナイスガイズ以来です!

映画感想:ウィッチ

 
『ウィッチ』予告編

 恒例の手短な感想から

監督がノスフェラトゥのリメイクに抜擢されるのも納得

 といった感じでしょうか。

 

 これからどんな作品を撮っていくのか、楽しみなホラー映画監督が誕生しているような気がします。本作、「ウィッチ」はそれほどに今のホラーからすると特異な作品となっています。

 現在、ホラーというジャンルは、往々にして「上手なびっくり箱」であることが多いと思います。もちろん、人を怖がらせるかぎりは多かれ少なかれ「びっくり箱」的な要素を入れざるをえないのですが――しかし、それにしても、だいぶ「びっくり箱」の要素に傾きすぎているのではないかと思うのです。特に洋画のホラーに関してはその傾向が異様に強い感じがします。

 例えば、最近のホラー映画監督の中でも、最も有名であろう、ギレルモ・デル・トロ。彼が監督や製作総指揮した諸作は確かに優秀なホラーが多く、過去のホラーへのオマージュや、ゴシックな雰囲気などの見せ方も上手いのです。

 が、そんな彼でさえ、いざ内容を見るとかなり「びっくり箱」要素が多いのです。パンズ・ラビリンス以外は、ほぼ観客の注意を惹きつけつつ「ワーッ!」といきなり驚かすシーンが必ず入っており、むしろ、それの目白押しとなっている作品もあるくらいです。

 

 それくらいに、現代のホラー映画は「びっくり箱」の要素が強くなってしまっているわけなのですが、本作「ウィッチ」はそんな時代の流れに真っ向から挑むような作品となっています。

 基本的に本作では、本当に最後の最後まで「びっくり箱」を使うことがないのです。むしろ、最近のホラー映画ならばここで「びっくり箱」要素を出すのがセオリーだろう、と思えるような場面でもそれを使うことがないのです。

 決して本作は、大きな出来事など起こらないのです。人が死ぬときもスプラッタ的なシーン、グロテスクなシーンはほぼ存在していません。あったとしても、わずかに仄めかす程度です。

 

 しかし、本作はそれでも、ここ数年でもかなり怖い部類のホラー映画です。

 主人公一家の一人一人が発する一つ一つの言動から感じられる、彼らの異端な空気感や人間模様。ねじくれた枝葉一つとっても「これは異様な空間だ」と感じさせる、魔女たちが住まう森の様相の奇妙さ。

 この映画の全ての要素が、この映画を見ている観客たちを幻惑していくのです。見ている間、ずっとこの映画の病的な雰囲気に――つまりはこの映画の呪いに――観客はどうやっても魅了され続けるのです。

 話の筋書きも急激な起伏などはありません。少しずつ、些細な出来事を積み重ねるだけの筋書きです。出来事を積み重ねに積み重ね――そうして、観客たちが気が付かない間に、物語が狂った状況へと変遷していくように出来ているのです。

 だからこそ、本当にこの映画は恐ろしいと言えます。

 なにが恐ろしいって、冷静に考えればあまりにも狂っている、あまりにも正気を失っている一家の様相を、観客がまったく違和感なく受け入れてしまっていることが恐ろしいのです。

 

 それどころか、見ている間中「確かにそう思ってしまうのも分かる」と、なぜだか共感を覚えてしまっている自分がいることに驚愕してしまうのです。そして、この映画で描かれた魔女を「本当に現実に存在しているのかも」などと、頭の片隅で思考してしまっている自分がいることに、愕然とさせられるのです。ゾッとしてしまうのです。

 

 これほどまでに雰囲気や空気感、そして、些細な出来事と人間同士のやり取りのみで恐怖を演出していくホラー洋画は、大変に珍しいです。

 時代設定や、キリスト教と悪魔の誘惑を強調している点など、本作は言ってしまえば古典的ホラーの再誕と言って良いのではないでしょうか。監督が、吸血鬼ノスフェラトゥのリメイクに抜擢されたのも納得です。

 

特殊雑記:佐藤竜雄監督の作家性

 初めに、

「あなたは佐藤竜雄監督の作家性、と言われて、それがなにかを答えることが出来ますか?」と問われたとします。あなたはそれに対してなにか明確な返答ができるでしょうか。全く出来ない人もいることでしょう。佐藤竜雄監督は、アニメ監督の中では、言ってもそこまでメジャーではありません。

 そもそも、佐藤竜雄監督って誰だと思っている人も多いことでしょう。

 演出時代、「赤ずきんチャチャ」での活躍から「チャチャ三羽烏の一人」として耳目を集め、それから、TVシリーズで「飛べイサミ」「機動戦艦ナデシコ」と監督を務めた方ですが、「佐藤竜雄」という名前自体が広く浸透しているかというと、そんな感じはありません。

 アニメに詳しい人であれば多少なりとも知っている名前ではあると思います。(2017年現在)最近も、「魔弾の王と戦姫」や「モーレツ宇宙海賊」などの監督を務めましたし、シリーズ構成で「白銀の意思 アルジェヴォルン」などにも参加していましたので、頭の片隅に覚えている人もいることでしょう。

 ただ、そういった人でも答えるのは難しいかもしれません。

 

 

 自分はかなりの佐藤竜雄監督ファンです。

 しかも、どうかしていると周りが思ってしまうレベルでファンです。どれくらいかというと、アニメを見ていて数分で「あ、これ、佐藤竜雄監督の絵コンテだな」とか分かるくらいにどうかしているファンです。

 事実、この映画ブログでも、度々彼の諸作品を挙げて記事にしてきました。

 

 そんなファンからすると、佐藤竜雄監督の作家性というものが、ここまで表立ってハッキリと語られることが少ないのは納得がいかないのです。知らない人からすれば、この手のアニメ監督が、表立って語られないのは当然に思えるのかもしれません。

 

  しかし、佐藤竜雄監督といえば、前述したように「チャチャ三羽烏」の一人であり、かつ、90年代、後世に強烈な影響を残した新世紀エヴァンゲリオン機動戦艦ナデシコ少女革命ウテナ」という、スターチャイルドの三作品の一つを監督した人でもあります。しかも、星雲賞映画演劇部門・メディア部門を二度も受賞した監督でもあります。星雲賞映画演劇部門・メディア部門の二冠を達成しているのは「宮﨑駿、リドリー・スコットジョージ・ルーカス金子修介細田守佐藤竜雄」のみです。

 これほどの監督であって、それでも、あんまり目立った論がないというのは、ハッキリ言って変でしょう。

 

 そして、ファンの方々は、佐藤竜雄監督が「毎回、どことなく同じ気がする/同じだと思える部分がある話を様々な視点から繰り返している監督」であることに勘付いている人も多いことだと思います。ただ、同時に「どこに共通点があるのか、いまいち分からない」「多少は分かるのだけど、完璧には分かっていない」という人も多いのではないでしょうか。

 実際、巷の佐藤竜雄監督ファンはよく佐藤竜雄監督を「日常系の感覚を先取りした監督」と呼んでいることも多いのです。

 しかし、単に日常系を先取りしただけの監督でないのも事実でしょう。日常系的な空気があると同時に、異様に熱い展開や熱血な展開が違和感なく挿入されたり、異様に怖い展開が挿入されていたり――上手く説明することが出来ないはずです。

 

 この雑記は「イマイチ/まったく分からない」作家性を、この記事を読むあなたに「そうか。佐藤竜雄監督はそういうところにも共通点があるのか/そういうところに共通点があったのか」という納得ができるものを目指しています。

 

 そのため、いくつか章立てて、佐藤竜雄監督の作家性を追求します。

 まず、第一章に入る前に、フィルモグラフィーのおおまかな再確認を行います。それから、次に第一章で、「話の構成」上の共通点――佐藤竜雄監督の作品では、こういう話になりやすい、というところを追求します。続く第二章では、今度は話の構成等、物語に当たるところではなく「画面構成」や「演出」等の、表現的な共通点に着目していきます。第三章では、二章までの更に深層に当たる「作品のテーマ」についての共通点を述べていきます。そして、第四章で全てを統括した総評を行います。

 全てを読み終わったとき、佐藤竜雄監督の作家性というものを、ぼんやりでも掴んでいたけたら、と思います。

 

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