儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:ウィッチ

 
『ウィッチ』予告編

 恒例の手短な感想から

監督がノスフェラトゥのリメイクに抜擢されるのも納得

 といった感じでしょうか。

 

 これからどんな作品を撮っていくのか、楽しみなホラー映画監督が誕生しているような気がします。本作、「ウィッチ」はそれほどに今のホラーからすると特異な作品となっています。

 現在、ホラーというジャンルは、往々にして「上手なびっくり箱」であることが多いと思います。もちろん、人を怖がらせるかぎりは多かれ少なかれ「びっくり箱」的な要素を入れざるをえないのですが――しかし、それにしても、だいぶ「びっくり箱」の要素に傾きすぎているのではないかと思うのです。特に洋画のホラーに関してはその傾向が異様に強い感じがします。

 例えば、最近のホラー映画監督の中でも、最も有名であろう、ギレルモ・デル・トロ。彼が監督や製作総指揮した諸作は確かに優秀なホラーが多く、過去のホラーへのオマージュや、ゴシックな雰囲気などの見せ方も上手いのです。

 が、そんな彼でさえ、いざ内容を見るとかなり「びっくり箱」要素が多いのです。パンズ・ラビリンス以外は、ほぼ観客の注意を惹きつけつつ「ワーッ!」といきなり驚かすシーンが必ず入っており、むしろ、それの目白押しとなっている作品もあるくらいです。

 

 それくらいに、現代のホラー映画は「びっくり箱」の要素が強くなってしまっているわけなのですが、本作「ウィッチ」はそんな時代の流れに真っ向から挑むような作品となっています。

 基本的に本作では、本当に最後の最後まで「びっくり箱」を使うことがないのです。むしろ、最近のホラー映画ならばここで「びっくり箱」要素を出すのがセオリーだろう、と思えるような場面でもそれを使うことがないのです。

 決して本作は、大きな出来事など起こらないのです。人が死ぬときもスプラッタ的なシーン、グロテスクなシーンはほぼ存在していません。あったとしても、わずかに仄めかす程度です。

 

 しかし、本作はそれでも、ここ数年でもかなり怖い部類のホラー映画です。

 主人公一家の一人一人が発する一つ一つの言動から感じられる、彼らの異端な空気感や人間模様。ねじくれた枝葉一つとっても「これは異様な空間だ」と感じさせる、魔女たちが住まう森の様相の奇妙さ。

 この映画の全ての要素が、この映画を見ている観客たちを幻惑していくのです。見ている間、ずっとこの映画の病的な雰囲気に――つまりはこの映画の呪いに――観客はどうやっても魅了され続けるのです。

 話の筋書きも急激な起伏などはありません。少しずつ、些細な出来事を積み重ねるだけの筋書きです。出来事を積み重ねに積み重ね――そうして、観客たちが気が付かない間に、物語が狂った状況へと変遷していくように出来ているのです。

 だからこそ、本当にこの映画は恐ろしいと言えます。

 なにが恐ろしいって、冷静に考えればあまりにも狂っている、あまりにも正気を失っている一家の様相を、観客がまったく違和感なく受け入れてしまっていることが恐ろしいのです。

 

 それどころか、見ている間中「確かにそう思ってしまうのも分かる」と、なぜだか共感を覚えてしまっている自分がいることに驚愕してしまうのです。そして、この映画で描かれた魔女を「本当に現実に存在しているのかも」などと、頭の片隅で思考してしまっている自分がいることに、愕然とさせられるのです。ゾッとしてしまうのです。

 

 これほどまでに雰囲気や空気感、そして、些細な出来事と人間同士のやり取りのみで恐怖を演出していくホラー洋画は、大変に珍しいです。

 時代設定や、キリスト教と悪魔の誘惑を強調している点など、本作は言ってしまえば古典的ホラーの再誕と言って良いのではないでしょうか。監督が、吸血鬼ノスフェラトゥのリメイクに抜擢されたのも納得です。

 

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