映画感想:オデッセイ
恒例の手短な感想から
噂に違わない、ポジティブ映画!だから面白い!
といった感じでしょうか
監督・リドリー・スコット、SF映画、火星探査事故、置き去りのパイロット――この映画の第一報を知ったとき、誰もがこう思ったはずです。これは相当に暗い映画になるはずだと。それから、しばらくして、試写会を見た評論家のリポートや、ゴールデン・グローブ賞のコメディ部門でこの映画が受賞しているという情報を聞いて、こうも思ったはずです。
え、これ、コメディ映画なの?と。
そして、このオデッセイ。その後者のうわさ通りの出来でした。
全編に渡って、まったく絶望感がないのです。むしろ、希望感しかないような、とてつもないほどに、ポジティブな映画となっています。というか、コメディ部門を獲得するのも納得のコメディ映画でした。
ただし、いわゆる、スペースボール等の「おフザケのパロディ映画」とも、この映画は違います。ディスコ系の歌と引っ掛けたギャグが入っていたり、昔のコントみたいな爆発ネタがあったりと、おフザケ要素も多少ありますが、本質的にはまったく違う映画です。
SF的な部分は、真剣にちゃんとハードSFらしい意匠を凝らしているのです。むしろ、真剣に、極めて真面目に考証した結果、なんだか状況がバカバカしいことになっているという、独特の面白さがある映画なのです。
本作の主人公は、決してふざけているわけではありません。真剣です。真剣に生き残ることを考えて、現実的に生き残れそうな選択を選び、その結果、なんだかやってることがマヌケだったり、傍から見ると笑えたりするだけなのです。
そして、そんな独特の面白い映画を見せられて一つのことに気がつくのです。従来のSF映画、SF小説は"わざと見過ごしてきた、隠してきたリアリティ"があったんだということに。
SFが見過ごしてきたリアリティとは、端的に言って「本当は、マヌケなところもあるはずなんだけどなぁ」というリアリティです。
従来、この手の映画は、基本的に暗く暗く、ひたすらに暗く描いていくものでした。近年のSF映画でも、インターステラー、ゼログラヴィティ……挙げればキリがないほど、大目に見ても明るいとは言いがたい映画ばかりであったと思います。
そして、とにかく内容は「カッコつけたもの」でした。
「火星であろうと、人は排泄をする」ということや、宇宙飛行士が往年のディスコ系のヒット曲を持参していることなどの、”SFとしてはカッコ悪いもの”を排除した上で、物語を作っているのがSFの基本だったと言えます。
本当に、現実を考えたら、絶望的な状況でも、悲惨な状況でも、実はそういうカッコ悪いものやマヌケなものがゴロっと転がることだって、あるはずなのに…。いえ、むしろ、そういう場面で、そういうマヌケなものが転がる方が、限りなく現実的なはずです。
しかし、SFは「現実的に考えた場合の考証がなんだ」「科学的な考証がなんだ」と口を酸っぱくする割に、科学的考証以外のリアリティに関しては極めて無神経なのです。
そのリアリティを、ハッキリと表に出したのが本作であると言えます。
この映画にある、マヌケさはなんだかリアルに感じられるのです。「あ、本当に火星で人が取り残されたら、こんなことやる人もいそうだな」と。
現実でも、例えば宇宙飛行士は、日常生活で、歯磨きした後は歯磨きした水を吐き出さずに飲むようにしているそうです。宇宙船の水は貴重なので、そうせざるをえないのだとか。興味深く、面白い話ですが、SFになった途端、こういうリアリティは真っ先に排除されます。
そんな、今までのSFに欠けていたリアリティを補って作ったのが、本作だと言えます。