儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画レビュー:最後の晩餐 平和主義者の連続殺人

最後の晩餐 平和主義者の連続殺人 (字幕版)

 リベラルな思想を持っている大学生たち、ルーク・マーク・ポーリー・ジュードはシェアハウスで一つの家に住んでいる。大雨の中、車で出かけていった仲間の一人・ピートを待っていると、ノックが。ようやくピートが帰ってきたのだ。どうしたのかと尋ねると、途中で車が故障してしまい、他人にここまで車を引っ張ってもらっていたのだという。
 いつも客人を招いては食事の中で、いろいろ訊くのが好きな彼ら。仲間を助けてもらった厚意もあって、当然、車を引っ張ってくれたトラックドライバー・ザックを夕食に招く。ただ、一つだけ問題があった。そのトラックドライバーは、湾岸戦争に行ったこともある、まさに右の人で、彼らとまったく話が合わなかったのだ。
 だんだんと会話の内容がとげとげしくなっていく、大学生とトラックドライバー。ついにはトラックドライバーと、大学生たちは喧嘩をし始め、怒りに達した大学生たちは…。


 ある意味、とても時事的な内容と言える映画でしょう。映画自体は、だいぶ前のものですが、それでもこの映画は時事的です。この映画、簡単に言ってしまえば「リベラルな思想を抱いている大学生五人が、正義のためと称して、次々と右翼系の、あるいは自分たちと意見が合わない人たちを殺してしまう映画」という、まったくシャレにならない内容となっているからです

 今、この時期の日本で見てみると、妙なほどの実感を持って見れてしまう映画です。序盤のトラックドライバーと大学生たちの、だんだんと意見が対立していく中で、行われるやり取りは、まるで日本の一部の人たちの間で渦巻く議論を見ているかのようですし、その後で、大学生が自らが行った殺人を正当化するために「彼は将来ヒトラーになるかもしれなかったんだから、自分たちはそれを未然に防いだんだ」と言い出す姿は、どうしても、現在の一部の人たちの姿を思い浮かべずにはいられません。

 こう書いていると、まるでこの映画がありとあらゆるところまで考えつくされた知的な映画であるように感じるかもしれませんが、残念ながらそんなことはありません。

 むしろ、全体的に画面はテレビドラマのようですし、演出も凡庸なのです。ところどころ、バカバカしくなってしまうような場面も散見されます。会話劇が中心なので、下手な演劇を見ているようでもあります。ハッキリ言って陳腐な内容です

 しかし、それでも、この映画には簡単に陳腐と叩ききれないところがあるのです。これは言ってしまえば、現在の僕らを取り巻いている現実そのものが、陳腐だからということに尽きるでしょう。

 むしろ、ところどころに稚拙だったり、下手くそな部分やバカバカしい場面が見れるからこそ、この映画には無視できないリアリティがあるのです。

 さぞ、いかにも素晴らしい思想を掲げ、行動しているように見えても、実際、周りから見て見れば、この映画の登場人物のようにあまりにも陳腐なことをやっているだけに過ぎず、それ以上の域を出ていない――そんな現実が、この陳腐な映画に強いリアリティ、馬鹿な話だと一笑出来ない、強い内容を与えているのです。

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