儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:メアリと魔女の花


「メアリと魔女の花」予告3

 恒例の手短な感想から

大人の事情しか見えない映画

 といった感じでしょうか。

 

 突然ですが、告白します。このブログ、実はある時期だけ、やたらアクセス数が伸びる現象が起こるんです。

 それまでは、当ブログは一日最大でも100アクセスが限界だろうという、(主にアフィリエイターからすれば)見下されていること間違いなしの、弱小ブログなのですが、ある時期だけはこれが10倍くらいに跳ね上がることがあるのです。

 その時期とは「思い出のマーニーがテレビ放映された時期」です。

 まー、「思い出のマーニー」という映画はそこそこ難しいというか、理解に手間のいる映画であるため、簡単なヒントを記した当ブログの感想記事に飛びついてくる人が多いわけです。

 「思い出のマーニー」は多少の疵があるものの、自分も評価しています。脱ジブリという宣言に相応しい一作でした。

 

 その「思い出のマーニー」の監督、米林宏昌監督の最新作が本作「メアリと魔女の花になるわけですが、この映画、どうやら各所で激論を巻き起こしているようです。

 確かに予告編の段階で嫌な予感のする映画でした。なんというか「第一報で見た予告編と、その後で伝わってくる情報に乖離がありすぎる」と言いますか。

 予告編の段階で「普通の少女が、生活に退屈している中で魔法の花を見つけて、魔女になって魔法学校へ行って、でも、魔法学校はヤバいところで、だから、魔法学校から抜け出すんだ」というあらすじは分かるのですが、それはちょっと話を詰め込み過ぎじゃないのか、と。

 そんなわけで、自分としても気になるので本作を見てきたのですが、いやーまさか!

 予告編で想像した内容と正反対で、こんなに話がすっからかんだとは思ってませんでした。

 

 この映画のすっからかんさをよく表しているのが、登場人物の数です。

 ジブリといえば、個性的なキャラクターたちが画面を跋扈して、さながら「毎回が妖怪大戦争」みたいな状態になっているのが、定番です。――というか、児童向けの映画や童話というのは、基本的にはそういうふうに出来ているものです。

 しかし、本作は登場人物の数が本当に少ない。チョイ役のキャラクターを含めても、両手で数えられる程度しか出てきません。それはエンドロールの出演クレジットを見ても明らかです。他の映画ならば、主役級の人たちが十数名、それにチョイ役がずらりという状態のはずのエンドロールが、本作は「え、これだけ?」という人数しかいないのです。

 しかも、話の本筋に深く関わる登場人物まで絞ると、たったの四人しか出てきません。嘘かと思うかもしれませんが、本作、敵役である魔法学校の先生とドクター、主人公側の少年少女、メアリとピーターが延々と、小競り合いしているだけの内容です。

 それ以外の人たちは、途中から思い出したようにちょっと出てきたりするだけです。

 

 なんというか……この時点でこの映画の状況がよく分かると思います。

「あぁ、そうか。そんな多い人数に出演料も出せないほど予算に困ってるんだな」ということです。有名人にオファー出したら、もうそれ以上出演料出す予算がないのではないかと。だから、登場人物が極限まで居ないことになっているのではないかと。

 

 本編の作画や構成に関しても、それが言えます。

 宮﨑駿的な方向性の、登場人物たちがちょこまかと動き回ってリアクションしたりするのは枚数がかかるので、とにかく登場人物たちには、セリフで感情を表現させ、細かい動きはやめさせよう――。

 そんな考えがあるのではないか、と疑うほどに実はアニメーションが動いてないのです。動いているように見せているだけのシーンが意外と多いです。

 例えば、この映画の始まり。ここでは食卓のシーンでメアリたちが延々と会話をしてメアリの状況を説明しています。

 宮﨑駿ならば、ここでメアリを街で散歩でもさせて、場面を次々変えながら、いろんな登場人物を登場させて、メアリの性格を描写し――などという構成を考えそうなものですが、そんな場面をちょこまか変えられるほど予算がないのか、ずっと同じ食卓シーンで、長々としたセリフでメアリの性格を説明して終わらせてしまうのです。

 また、ジブリのように細かい作画修正を掛ける予算もなかったのか、よぉく見ると作画がミスってる箇所もそのままになっています。

 

 実はこの映画、ずっとこの状態が最後まで続いているのです。全てにおいて「んー予算なかったのかなぁ……?」と思ってしまうほどに、様々な表現が"詰められて"いないのです。

 例えば、樹木の表現などもそうです。これを突き詰めて描く暇など無かったのか、木の葉の部分は、雑多なモコモコとした緑のマリモにブツブツが生えているようにしか見えない仕上がりになっています。おそらくブラッシュアップする予算がなかったのでしょう。木々らしい、不規則な凹凸の線などを表現できていないのです。

 箒で飛ぶ描写も、宮﨑駿らしい「溜め」や、「慣性の働いている感じ」などが表現できていないままです。

 

 この映画、ジブリっぽい描写やオマージュがたくさん入っている映画なのですが、どんなにジブリっぽい描写を入れても、この映画は明らかにジブリとは別物です。今年公開されたアニメ映画ならば、夜明け告げるルーのうた」の方が、描写のフェティッシュさにおいて遥かにジブリっぽいと言えます。

 子供向け映画としても、各々の箇所にある、長すぎるセリフ回しや、そもそも二時間を超えている尺など、子どもを飽きさせる要素満載でとてもではないですけれど、評価できません。実際、映画館にいた子どもはだいたいが飽きていて、親の言うことをよく聞いてそうな"いい子"だけがニコニコしている、という酷い状況になっていました。

 

 思うのですが、本作はそもそも題材が間違っていたのではないでしょうか。ここまで予算がなさそうな状況で、本作のような大スペクタクルものを作ろうというのは本当に無理があります。

 米林宏昌監督は「思い出のマーニー」のように、地味なんだけれどもよく心に響く一作のほうが演出の方向性など含めて似合っているように思いますし、その方向性のほうが予算的に大助かりのはずです。

 そうですね。……例えば、「肩胛骨は翼のなごり (創元推理文庫)」などどうでしょう? 本作、宮﨑駿が絶賛していた小説ですが、これなんかは米林宏昌監督の才覚によく合っていると思うのですが。

 

 ですが、この路線だとおそらく「儲からない」のでしょうね。ジブリっぽくしないと人は来てくれません。映画冒頭、スタジオジブリと見間違えそうなロゴを使っているのも、そういう事情からでしょう。儲けるためには、観客に本作がジブリであるかのように誤解してもらわないといけないのです。

 

 メアリと魔女の花は、そういう大人の事情がよく見えてしまう映画、と言えるかもしれません。

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