映画感想:犬ヶ島
野田洋次郎も参加!ウェス・アンダーソン最新作『犬ヶ島』日本オリジナル版予告
恒例の手短な感想から
ウェス・アンダーソンと日本芸術の相性の良さよ!
といったところでしょうか。
ご存知の方も多いと思いますが、ウェス・アンダーソン監督といえば「常に登場人物がカメラに対して真正面の角度で、まるで子供が描いた絵のように並んでいたり、かと思えば、ずっと真横を向いていたりする、特異なカメラワーク」「そして、小説のように常に章仕立てで区切られている筋書き、奇妙だったり、シュールだったりする登場人物たちのやり取りや、人物設定」等々、いかにも芸術映画といった趣の、ヘンテコな映画ばかりを撮っていることで有名な監督です。
自分も彼の諸作品のいくつかを鑑賞しているのですが、思わず「これはないだろう」と言いたくなるような映画もあれば、「これは素晴らしかったなぁ」と言いたくなる映画もあったりと、良くも悪くも癖の強い監督なのです。
そんなウェス・アンダーソン監督の新作を久しぶりに見に行くとあっては、不安になってくるのも当然でしょう。正直、あのアクの強すぎる作品を、今の自分は普通に鑑賞できるのだろうかと。あの独特な作品に対して、もっとこうチューニングを合わせないとダメなのではないかと。途中でつまらなくなったりするのではないかと。
で、観に行った「犬ヶ島」の感想になりますが、意外と普通に鑑賞することが出来ました。
といっても、ウェス・アンダーソン監督作品の中でも、本作、「犬ヶ島」は、相当にアクが強い方の作品だとは思います。それどころか、今までのウェス・アンダーソン過去作と比較しても、だいぶウェス・アンダーソン成分が濃い方であるのは間違いないでしょう。
今まで以上に頑なにカメラに対して真正面で立っているキャラクターたち、意地でも画面の中心にキャラクターを置こうとするカメラワーク、頭に小型飛行機の部品が刺さっている主人公などのシュールすぎる設定、ストップモーションアニメーションを活かしたケレン味溢れる動きの数々ーー特濃に煮出されたウェス・アンダーソン成分でかなりお腹がいっぱいになる作品です。
しかし、それでも、自分が「アクが強すぎて、こんなもの飲み下せるか」と思わなかったのは、題材として、日本文化が使われていたからでしょうか。本作、「犬ヶ島」は俳句や日本の童話や、日本の昔の人形劇などが、かなりオマージュされている作品なのですが、意外とこの「日本文化・日本の芸術」というものが「ウェス・アンダーソン監督の映画作品の芸術性」と、いい相性で混ざり合っているんです。
考えてみれば当然かもしれません。日本の芸術といえば、リアリズムを極力に排し「様式美」という究極的な記号によって高められた芸術なのですが、ウェス・アンダーソン監督の諸作品もかなりリアリズムを排し、記号的な表現が使われることが多いからです。
例えば、実際、本作では、アクションシーンは、すべて昔のアニメのようなモクモクの煙に登場人物たちの手足が出るだけという表現で統一されています。
普通の映画ならば、ここぞと、カンフーやらボクシングやら、関節技やらが混ざり合ったカッコいいアクションを入れるところを「アクションが起こっている・人が戦っている」という記号だけを入れて済ませているのです。
このような「高められた記号的な表現の芸術」という意味でウェス・アンダーソン監督の作品と日本芸術という題材は極めてマッチしているのです。
おかげで、少なくとも日本人である自分にとっては大きな違和感もなく、本作を鑑賞することが出来ているのかな、と、そう思います。