儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:デッド・プール


映画『デッドプール』予告編

恒例の手短な感想から

面白い。でも荒いし、それに…うーん…

といったところでしょうか。

 

 まず、はじめに断っておきたいのは面白いことは面白かった、ということです。良かったことは良かったのではないでしょうか。

 もちろん、この言い草からして分かるとおり――そして、大体の人が気づいているとおり――目をつぶるにしても程があるレベルで粗や瑕が、あちこちに無数に存在しているこの映画を、手放しで絶賛するのは無理です。

「女性像が男に都合良すぎ」とか「そもそも話自体にご都合が多すぎ」とか「説明しすぎ」とか「時系列がごちゃごちゃしすぎ」とか「全体的を俯瞰すると話が矛盾しすぎ」とか「ぽっと出のキャラクターが多すぎ」とか「戦闘シーンが少なすぎ」とか、結構、細かい部分ではない映画の根幹を担うところがおかしいことだらけなので、正直、これを真正面から絶賛している映画評論家たちはどうかしています。

 

 本作、誰がどう見たって正面から評価できる類の映画ではありません。むしろ、上記の欠点を誤魔化すためにメタ的なギャグをふんだんに入れて、全てをなあなあ、グズグズにして、どうにか押しきっちゃえという作り手の精神が露骨に現れている映画です。

 それどころか、そうやって誤魔化していることさえも、露悪的に自虐し、笑いに変えてどうにか体裁を保とうとしている映画です。

 アニメで言うなら、大地丙太郎監督みたいな作風です。メタネタ・他作品を引用したギャグ・自虐ネタ……等々、いろんな要素が彼のアニメにそっくりです。おそらく真似るつもりなどなく、そもそも、デッドプールの製作者たちは大地丙太郎の名前さえ知らないと思います。が、それでもそっくりです。

 というよりも、大地丙太郎監督などが活躍した90年代の日本の作品の雰囲気にものすごく似ています。このデッドプールは。

 

 そうです。今作、デッドプールはとても日本の90年代文化っぽい内容です。あの時代にあったメタ的なネタ・ギャグ、自虐的なギャグとやら、くすぐり程度の小ネタを入れまくるところなど、とても90年代的です。

 事実、コミックのデッドプールは90年代なので、原作からして90年代的な空気感に包まれているのですが、この映画は特に、作り手が本当に撮りたい画や物語を、予算不足と技術不足とそもそもの才能不足で出来ないのを、メタネタで自虐したりして誤魔化しているあたりが、極めて90年代の日本に近いと言えます。

 だからこそ、僕はあまり、この映画を手放しで絶賛する気になれないのです。90年代の日本の、そういう空気がその後、映画やドラマをどうしようもないほどにダメにしていった原因の一つだからです。

 

 ただ、繰り返しますが、それでも本作は面白かったです。上記で挙げたようにいろいろと瑕の多い内容ですが、辛うじて、一貫したテーマが強く存在していたせいもあってか、ごちゃごちゃとしているのだけれども、わけの分からない内容ではなかったです。

 主人公の行動理念も、単純明快であるために理解の助けになっていたと思います。

 そして、なによりも、テーマを貫ききった先にある最後のシーン。ここは、なんというか、ハッピーエンドがどうとか、恋人との話がどうとか、ヒーローがどうとか、そんなものは全てどうでもよかったのですが、「最後まで、一つの行動で一貫させたんだ…。主人公をこれでやり通したんだなぁ…」という作り手の一貫した姿勢に対して、こみ上げてくるものがありました。

 あのシーンがあっただけでも「この映画はこの映画で良しと考えても良いのかな」と思えます。まあ、これって、本作の作品内でたびたび言及している「96時間シリーズ」と同じことやってるだけじゃん……と言えば、そうなんですけどね……。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村