映画感想:ニンジャバットマン
映画『ニンジャバットマン』 日本用トレーラー【2018年6月15日劇場公開】
恒例の手短な感想から
バットマン映画としても、時代劇映画としても、上質
といったところでしょうか。
正直、当初は見る予定もなく、予告編を見ても「どうせ、面白くないんだろう?」とどこか見くびっていたのですが、周囲の評判が「賛否両論だと思うけど、僕は好きだ」という意見だけで占められていることに、非常に興味を持ちまして、見てきました。
結論から言ってしまうと、かなり面白かったです。
本作、近年のDCコミック映画の中では、トップレベルの出来栄えと言って過言ではないでしょう。このところのDCコミック映画といえば「スーサイド・スクワッド」*1等々、アレな出来栄えの映画が多かったわけですが、間違いなく、それらと比べても非常に良くできた映画です。
なんといっても本作が素晴らしいのは「バットマンとヴィランズが日本の戦国時代にタイムスリップしてしまった」という無茶苦茶な基本設定や、ツッコミどころだらけのシュールな筋書き、さすがポプテピピックの神風動画と言いたくなるような、インパクト重視のアニメーションが跋扈し、あれもこれも、てんこ盛りにした内容――にもかかわらず、実はちゃんとバットマンの映画としてテーマが成り立っていることが素晴らしいと言えます。
いえ、むしろ、前述した、一見、無茶苦茶に見える――別にバットマンでやらなくていいじゃないかと思えてしまう――この映画の様々な、バットマンらしくない要素たちは、実のところ、バットマン的なテーマを成り立たせるための舞台装置として使っているとさえ言えるでしょう。
戦国時代という時代設定であるために、いつものような、ハイテク兵器を使うことができないという状況下――戦国時代という時代設定であるために、本当にヴィランズが一国を支配できてしまう世の中という状況下――司法制度どころか、そもそも警察機構さえないという世の中であることが、バットマンという存在の意味合いへの問いかけになっています。
中盤のレッドフード、バットマンと記憶を失ったあの二人*2とのやり取りや、バットマンと彼*3が一瞬手を組んでしまう展開などに、それはよく現れていたと言えるでしょう。
そして、あのジョーカーがバットマンに対して、戦いを通じ、しつこいほどに存在意義を問いかけ続けるクライマックス――本作はバットマン映画としてよく出来ているとしか言いようがないでしょう。
もちろん、普通であれば戦国時代という時代設定の中で、そんな現代的なテーマを持ち込んでしまうと、違和感が大きかったり、「え、この時代にそんな話する必要性あるか?」と感じられてしまったりするのですが、その違和感も実は本作では少ないのです。
むしろ、戦国時代という時代設定の中で、バットマン的なテーマを持ち込むことが極めて自然に感じられます。
これもまた、日本の戦国時代という時代設定であるから、なせた技でしょう。旧来の時代劇映画では、実はこういうバットマン的なテーマの話が終盤で出てくる作品がとても多いのです。
日本人の価値観の根源である、神道や仏教自体が「善悪」というものを問う側面があることも寄与してか、時代劇映画こそ、実は「善悪」の話をよくする映画ジャンルでした。眠狂四郎シリーズや、座頭市シリーズでも、そういった作品は少なからず存在します。
つまり、実のところ、本作は時代劇映画としても、実はかなり上質な出来栄えになっているのです。
本作は、一見、水と油のように見える、戦国時代とバットマンという2つの要素ですが、実はこの上なく相性の良く、お互いを引き立て合うことが出来るだ――ということを、よく証明している映画ではないでしょうか。
*1:ただ、スーサイド・スクワッドに関しては、ちょっと一部の人たちが過剰に酷評しすぎている、とも思いますが……あの人達の中では、有名な雑誌とかで貶されたら、自分も一緒になって口汚く罵らなきゃいけない不文律でもあるんですかね?
*2:ネタバレのため、表現をぼかしています。
*3:ネタバレのため、表現をぼかしています。
2018年上半期映画ランキング
上半期を過ぎましたので、暫定ランキングの方を載せていきたいと思います。
今年は簡素な内容にいたしました。
以下、ランキングです。
10.カンフーヨガ
9.羊の木
7.犬ヶ島
4.ちはやふる ―結び―
2.万引き家族
1.リズと青い鳥
総評
もはや、邦画を「海外の映画ほどは面白くない」と見るのは無理がありすぎますね。
今年の映画は、それをよく象徴しているかと思います。実際、海外の評価においても、是枝監督の「万引き家族」はカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞しました。当ブログにおいても、ずっと「ここ数年は邦画が回復基調である」と論じていましたが、見事にそれが証明された形と言えるでしょう。
万引き家族は、自分の上半期ランキングでも、2位を獲得しており、実際それくらいに良い映画でした。それを越えて1位を獲得したのがリズと青い鳥になるわけですが――この映画、なんで細田守のつまらなそうな映画の代わりにカンヌに出品されなかったのでしょうか。冗談抜きで、後世に残る名監督は山田尚子監督の方でしょう。
そして、3位はレディ・プレイヤー1なのですが、これはもう、日本人だけが異様に評価が上がってしまう映画でしょう。実際、ダイトウのセリフは最高でした。
次にちはやふる―結び―、本来ならば、1位に入ってもおかしくない映画なのですが、上位3つが傑作すぎて順位を落としてしまいましたが、映画のクオリティ自体は、今年の映画の中でもトップレベルでした。
最後にシェイプ・オブ・ウォーター、ギレルモ・デル・トロ作品の中でも洗練され、あくまで大人の物語に昇華させている本作は、今年でも一番上品な作品でした。
今年、特にすごかった映画は、この上記5つですね。この5本は、本当に素晴らしかったです。
この5強の映画を、ガラッと崩せるような映画を下半期も鑑賞していきたいと思います。
映画感想:リズと青い鳥
恒例の手短な感想から
一つの頂きへ至った傑作音楽映画
といったところでしょうか。
ここまでに”音楽”というものを、描ききった作品がよもやアニメ映画で誕生するとは驚きに尽きます。音楽をテーマとした、今年のアニメ映画としては間違いなく本作は最高峰です。「リメンバー・ミー」などの映画を遥かに下に見下ろせる傑作と言い切っていいでしょう。
それどころか、実写の音楽映画と比較しても、これほどに芳醇な音楽映画足り得ている映画は少ないです。ジャズ映画、クラシック映画、ロック映画、ヒップホップ映画……自分は様々な音楽映画を鑑賞していますが、これほどに"音楽"を描いた映画は、「ブルーに生まれついて」くらいしか知りません。
それくらいの大傑作です。
映画として、本作は実に話の筋書きがシンプルです。思春期特有の――ともすれば恋ともつかないような――同性への特別な感情を抱く女の子と、そんな感情を抱かれている女の子の二人が、吹奏楽部のコンクールに向け、ある一つの曲の練習を繰り返す中で、二人の気持ちが交錯していくだけの映画です。
話としては、悪く言ってしまえば陳腐にもなりかねないほどにシンプルであり、極めてよく見る「大人へと至る、青春の物語の一つの類型」に過ぎないのです。
それでも本作を鑑賞した人は「あまりにも見たことがない映画を見た」と感じたはずです。
それはもちろん、本作を監督した山田尚子監督が、「聲の形」から身につけ始めた非常に高度な演出や、京都アニメーションのクオリティ高い作画技術や、絶妙なミスリードを混ぜた脚本などによって、映画そのものが特異な雰囲気を放っていたことも、「見たことがない映画を見た」感覚を生み出した一端であるのでしょう。
しかし、本作は、それだけで、ここまで特異な映画になったようには思えません。
そもそも、本作が描く「音楽」の姿自体が、普通の物語では絶対に描かないような姿だったからこそ、本作は「見たことがない映画」になっているのではないでしょうか。
端的に言ってしまって、音楽とはコミュニケーションの一種です。特に吹奏楽などのアンサンブルの世界では、その要素が強く存在しています。リアルタイムなコミュニケーションの中で生み出される”美しさ”を求める芸術――それこそが、音楽であると言えます。
ここまでは、どんな映画でも大抵言っていることで、当たり前にしか思えない話でしょう。
しかし、この映画が特異なのは、この「音楽とはコミュニケーションである」という前提の先を行ったところにあります。大抵の映画において、この「音楽というコミュニケーション」は、超然的な幸せをもたらすものとして描かれているのです。
つまり、「心が通じ合うことは幸福なんだ。幸せなことだ」と、大抵の映画は、そこを信じて疑わない描写を持ってくるのです。
本作はそこが決定的に違います。
コミュニケーションによる相互理解とは、常に幸福なものとはかぎりません。多くの人は、知られたくない思いがあり、そもそも自分自身さえ理解できていないモヤモヤとした何かを、胸に抱えているものです。
それが他人とのコミュニケーションによって、暴かれてしまった瞬間は、とても美しくありながらも、下手をすれば不幸とさえ言える状況を生み出してしまいます。
音楽もそうなのです。いえ、音楽こそが最も、その要素が強いコミュニケーションかもしれません。音楽は、言葉を介さない――つまり、表面を取りつくろうことが出来ないからこそ――伝えようとした瞬間に、ストレートに全ての思いと事実を容赦なく相手に伝えてしまうのです。
本作は、その音楽というコミュニケーション――何もかもを暴いてしまうコミュニケーションの――美しさと同時に内包された残酷さをも描ききっているのです。だからこそ、この映画のクライマックスは、あれほどに複雑な気持ちを抱かざるを得ないものであり、そして、それがあるからこそ、本作が「とても見たことのない映画」に変貌してしまっているのです。
決して、最高の音楽が現れた瞬間が、コミュニケーションとして幸福な瞬間ではないという、この圧倒的な現実の前に、自分たちはただ言いようのない感情を覚え、口を噤むしかなくなります。本作は間違いなく、大傑作でしょう。
映画感想:傀儡
恒例の手短な感想から
世にも奇妙な物語かよ!
といったところでしょうか。
いえ、一応、かなり途中までは面白く鑑賞した映画ではあったのです。学生時代に恋人が謎の水死を遂げてしまった主人公が、十数年後、ゴシップ雑誌の記者として、何が起こったのかを調べることになるという導入から始まるこの物語には、かなり興味を引きつけられました。
単なるミステリー劇には終始しない話の作りになっており、一瞬、「あれ、時系列がループしているのか?」と思わせるような構成や、撮り方、主人公の妄想なのか現実なのか、一瞬分からなくなるシーンなどの織り交ぜによって、観客が映画の世界に、ぐいぐいとのめり込むことが出来るようになっています。
どんどんと真相に近づいているはずが、むしろ、真相に遠くなってしまう――そんな虚しい感覚を覚えさせてくれる、この映画を途中まで自分は高く評価していました。
「ひょっとして、これはポール・トーマス・アンダーソンが撮ったインヒアレント・ヴァイス(吹替版)のような話を追おうとしているのか?」「あるいは、エリック・マコーマックのミステリウムのような、ミステリーそのものへの問いかけを混ぜたような作品なのか?」
もし、上記の作品のようなことを、ここまで小規模の映画で実現させようとしているのであれば、それはとても偉大なことです。おそらく、そこまでこの映画のテーマを突き詰めていれば、作品として、本作は傑作と呼べる代物になっていたことでしょう。
まったく、残念なことに本作は、そんな複雑なテーマを自ら投げ捨て、凡俗な物語に着地してしまうのですが。いえ、凡俗という言葉も、この映画を的確に評せている言葉ではありませんね。
はっきり言って「中二病的世界観で埋め尽くされた、作り手だけが高尚と思い込んでいる、陳腐なマスターベーションの物語に着地してしまう」といった方が的確でしょう。実のところ、この中二病的な世界観というものは、この映画の冒頭からちょいちょいと顔を出してはいたのです。
「人間の存在を感じられるのは、肌が触れ合ったときの暖かさと、握ったときの痛みだけだ」とか「中身のない墓に向かって、十何年間もお前は何を弔っていたんだ?」とか、まあ、端々で背中が痒くなるような――作り手のナルシストぶりがよく現れた台詞が散らばっていました。
これらの台詞も、終盤、ちゃんと映画がそれなりに見事なテーマを見せていれば、許せたものでした。
しかし、本作の終盤といえば、わりとつまらない真相が解き明かされ、しかも、その真相を明かしたことが、この映画のテーマを引き立たせてもおらず、更に、その後のラストでは、ただただ「観客を煙に撒いて、自分たちが、いかに高尚で頭がいいことをしているように見えるか」ばかりを気にして作ったんだなとしか言いようがない、ショボいラストを迎えてしまうのです。
結果、この映画は「こんなの、タモリが出てない世にも奇妙な物語じゃねぇか!」としか評せない出来に仕上がっており、作り手のこの類の物語、映画への不勉強さがよく出ていると言えます。
本作、監督はまだまだ若い、学生の方なので仕方ないのかもしれないですが、しかし、前述したポール・トーマス・アンダーソンは27歳のときには、もうブギーナイツを撮っていますからね。
自分としては、この手の物語が味わいたいのであれば、断然、エリック・マコーマックの『ミステリウム』の方をオススメします。
映画感想:万引き家族
恒例の手短な感想から
考えても、考えても
といったところでしょうか。
まさか、これほどに鑑賞後、黙り込んで深く深く考えてしまうような映画だとは思ってもいませんでした。カンヌ映画祭にて、最高賞を受賞した是枝監督の「万引き家族」は、確実に映画史に残る一作だと言えます。
そして、是枝監督のフィルモグラフィーの中でも間違いなく、最高傑作と断じていい出来です。というより、こんな圧倒的な一作を作り上げてしまって、是枝監督は大丈夫なんでしょうか。是枝監督の映画生命が燃え尽きかねないほどの出来なのですが。
是枝監督の作品は、本ブログでも度々取り上げていますが、最近、若干迷走気味だった是枝監督作品からすると、驚異的な作品です。モチーフや、演者、構図などはこれまでの是枝監督作品と、あまり変わらないというのに、本作は是枝監督作品の中でも、最も異様です。
今までのような、「海よりもまだ深く」「歩いても歩いても」に代表される島尾敏雄的なテーマや設定などがありつつも、しかし、明らかに島尾敏雄の方向性とは異なっており、「三度目の殺人」のようなミステリー劇から哲学的な話へ入り込む話のようでもあり、しかし、それとも異なる方向性に仕上がっています。
はっきり言って、今の世の中が"本作"を的確に批評することは不可能でしょう。
実際、本作を取り巻く批評といえば「本作の肩越しに、ただ、自分の気に食わない人たちを撃ちたいだけ」のものばかりが並んでいます。
例えば、とある記事では本作を「国粋主義への疑問を示した作品」などと書かれてあったりします。
特段、今の世の中を批判するような描写を入れようとしていない、この映画の、どこにそんな奇天烈な解釈が挟めるのか、不思議でしょうがないのですが、それでもそう書いてあったりします。
かと思えば、また一方では、本作を作った是枝監督を「日本の汚点を世界に示した」から売国奴だのなんだのと、文句を言う人たちもいます。
どう見ても、フィクションにしか見えないほど、かなり特異で異様な"一家"の姿を描いた、この映画を見て、「これが日本の現実なんだ」などと思う人など、相当、頭のおかしい人だと思いますが、それでもそう書いてあったりします。
だから、絶対無理でしょう。そんな記事がマジョリティーであるかぎりは絶対に無理でしょう。本作をちゃんとした評価で捉えることは不可能です。
本作は、そんな話をしたい映画でないことは明白です。むしろ、本作は「何が何でも"そういう"話にしようとする人が多い、今の社会」に対して「どうせお前らは、分かろうとしないんだろ?」と挑発している映画だと言っていいです。
事実、この映画は「嘘だろ!?」と言いたくなるほど、あまりにも唐突なタイミングでエンディングを迎えます。本作は全てを明確にしないまま、終わってしまうのです。いくつかの謎だけが提示され、いくつかの疑問だけが投げかけられ、そうして、話が終わってしまう。
「そっから、先はお前らが考えてみろよ」と言わんばかりに。
飛んだまま、着地しないまま、映画が終わってしまうのです。
言ってしまえば「安直」になることを、徹底的に本作は避けています。ハッピーエンドでも、バッドエンドでも、分かりやすいエンディングを迎えることを許していないのです。なぜなら、この映画で示されている話やテーマは、そんな簡単に切り捨てられるような話ではないからです。
本作で描かれる「万引き家族」は正しくもあり、しかし、間違ってもいるのです。本作は、決して「万引き家族は、本当の家族よりも、正しい家族だ」などと言っている映画ではないのです。
しかし、現実とはそういうものではないでしょうか。
現実で、完全に間違っていることなどはありませんし、完全に正しいことなどもありません。しかし、では、間違いと正しさは存在しないのかというと、そうでもなく、部分的な正しい点と間違っている点というものは、確かに存在しています。なおかつ、時として「正しい点」と「間違っている点」は見分けるのが、酷く難しくもあります。
それが現実なのです。
この映画を見た人はどうしても考えずにはいられなくなるはずです。なにが正しかったのだろうか、と。考えても考えても、その答えが出ることは決してありません。
胸が裂かれるような思いに苛まれ、どうしたらいいのか分からなくなることでしょう。しかし――いえ、だからこそ、本作は傑作なのです。考えても分からず、映画自体は答えを示してくれず、考えても考えても考えきれず、光のない泥の中を、もがいているような気分になってくることでしょう。
まさに傑作だと言えます。
5月に見た映画
・孤狼の血
・ザ・タウン
・犬ヶ島
野田洋次郎も参加!ウェス・アンダーソン最新作『犬ヶ島』日本オリジナル版予告
忙しくなってくると、ブログの更新もなかなか出来ないですね…。5月の鑑賞本数は6本。んー。もうちょっと見るようにしないとなぁ。