儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

映画感想:傀儡


【第28回東京学生映画祭】『傀儡』予告編

 恒例の手短な感想から

世にも奇妙な物語かよ!

 といったところでしょうか。

 

 いえ、一応、かなり途中までは面白く鑑賞した映画ではあったのです。学生時代に恋人が謎の水死を遂げてしまった主人公が、十数年後、ゴシップ雑誌の記者として、何が起こったのかを調べることになるという導入から始まるこの物語には、かなり興味を引きつけられました。

 

 単なるミステリー劇には終始しない話の作りになっており、一瞬、「あれ、時系列がループしているのか?」と思わせるような構成や、撮り方、主人公の妄想なのか現実なのか、一瞬分からなくなるシーンなどの織り交ぜによって、観客が映画の世界に、ぐいぐいとのめり込むことが出来るようになっています。

 どんどんと真相に近づいているはずが、むしろ、真相に遠くなってしまう――そんな虚しい感覚を覚えさせてくれる、この映画を途中まで自分は高く評価していました。

「ひょっとして、これはポール・トーマス・アンダーソンが撮ったインヒアレント・ヴァイス(吹替版)のような話を追おうとしているのか?」「あるいは、エリック・マコーマックミステリウムのような、ミステリーそのものへの問いかけを混ぜたような作品なのか?」

 

 もし、上記の作品のようなことを、ここまで小規模の映画で実現させようとしているのであれば、それはとても偉大なことです。おそらく、そこまでこの映画のテーマを突き詰めていれば、作品として、本作は傑作と呼べる代物になっていたことでしょう。

 

 まったく、残念なことに本作は、そんな複雑なテーマを自ら投げ捨て、凡俗な物語に着地してしまうのですが。いえ、凡俗という言葉も、この映画を的確に評せている言葉ではありませんね。

 はっきり言って「中二病的世界観で埋め尽くされた、作り手だけが高尚と思い込んでいる、陳腐なマスターベーションの物語に着地してしまう」といった方が的確でしょう。実のところ、この中二病的な世界観というものは、この映画の冒頭からちょいちょいと顔を出してはいたのです。

「人間の存在を感じられるのは、肌が触れ合ったときの暖かさと、握ったときの痛みだけだ」とか「中身のない墓に向かって、十何年間もお前は何を弔っていたんだ?」とか、まあ、端々で背中が痒くなるような――作り手のナルシストぶりがよく現れた台詞が散らばっていました。

 

 これらの台詞も、終盤、ちゃんと映画がそれなりに見事なテーマを見せていれば、許せたものでした。

 しかし、本作の終盤といえば、わりとつまらない真相が解き明かされ、しかも、その真相を明かしたことが、この映画のテーマを引き立たせてもおらず、更に、その後のラストでは、ただただ「観客を煙に撒いて、自分たちが、いかに高尚で頭がいいことをしているように見えるか」ばかりを気にして作ったんだなとしか言いようがない、ショボいラストを迎えてしまうのです。

 

 結果、この映画は「こんなの、タモリが出てない世にも奇妙な物語じゃねぇか!」としか評せない出来に仕上がっており、作り手のこの類の物語、映画への不勉強さがよく出ていると言えます。

 本作、監督はまだまだ若い、学生の方なので仕方ないのかもしれないですが、しかし、前述したポール・トーマス・アンダーソンは27歳のときには、もうブギーナイツを撮っていますからね。

 自分としては、この手の物語が味わいたいのであれば、断然、エリック・マコーマックの『ミステリウム』の方をオススメします。

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