儘にならぬは浮世の謀り

主に映画の感想を呟くための日記

雑記:最近の政治情勢で評価が変わった映画

 かつて、このブログで紹介した映画――その中には当然、紹介したあとで自分の心の変化や、評価の変化、あるいは社会状況の変化などによって評価が多少なりとも変わってしまう映画というのが、存在しています。

 まあ、自分の心の変化などで評価が変わった云々は、別にどうでもいいことだと思いますが、中には見過ごせない「評価が変わった映画」というものも存在しています。政治的な状況や社会の変化によって、評価が変わった映画です。

 

 もちろん、世の中に迎合して、評価を変えたいと言っているわけではありません。ただ、時間が立つに連れ、世の中のいろんなことが明らかになったりする中で「そんな重大な事実が判明したなら、あの映画の評価は下げないとマズいじゃないか/上げないとマズいじゃないか」ということもあります。

 そういった映画たちの評価を今回は訂正していきたいと思います。

 

 特に僕が最近、政治情勢の影響で評価を変えないとマズいと感じている映画は、これになります。 

harutorai.hatenablog.com

最後の晩餐 平和主義者の連続殺人

 この映画の存在を僕がレビューで記事にしたのは、もう10ヶ月くらいは前のことになります。この映画のレビューで、僕はとても重要なことを書き忘れていました。それは劇中に登場する『連続殺人を行っていく平和主義者の大学生』たちが、最終的に誰を殺そうとしていたか、ということです。

 この映画で大学生たちは、元々は右翼的なメッセージでのし上がっている、テレビの人気司会者を殺すことを最終目標にしています。理由は簡単で、右翼たちを扇動している元凶だからです。

 そして、この人はひょっとすると大統領候補として出馬するつもりなのでは、との噂が絶えない人物という設定になっています。

 この映画、95年に作られたものなのですが、この右翼を扇動する人気司会者のキャラクターは今になると、ある一人の人物を思い浮かべざるをえないのです。

 そうです。ドナルド・トランプです。

 おそらく、当時の状況を考えると94年の中間選挙で、ラッシュリンボーの言説で共和党が勝ったことを受けての筋書きですので、作り手としてはラッシュリンボーを意識して、単純にラッシュリンボーと同じラジオパーソナリティというキャラクターにしては面白くないと、テレビ司会者というキャラクターにしたのだと思われます。そして、それがどういう偶然か、今見てみると、極めてドナルド・トランプ氏にそっくりになっているのです。

 

 このレビューを紹介したときには既にトランプ氏は共和党からの出馬を表明していました。が、まさか今になって、こんな状況になるのなら、もう少しこの映画にトランプの出馬を予言するようなキャラクターが出ていることを強調しておくべきだったかなと後悔しています。

 そして、この映画の評価をより上げるべきなのかなと。

 

以上です。

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