映画レビュー:メトロポリス
未来の大都市、メトロポリスに国際的な犯罪者であり、科学者でもあるロートンを追って、やってきたヒゲオヤジ警部と新聞記者のケンイチ。二人はロボットのペロと共に、科学者の捜査をしていく。
一方で、メトロポリスで圧倒的な支持率を誇り、かつ、影の実権を握っている、マルドゥク党の総帥・レッド公は科学者ロートンに、都市の地下部ZONE1で、とあるモノの開発をさせていた。それは、最新鋭のロボットだった。ロボットは、亡くなったレッド公の愛娘・ティマに瓜二つの姿をしていおり、彼女もまたティマと名付けられている。
しかし、レッド公に養子として拾われ、レッド公を父親と慕っているロックは、このティマの存在に納得がいかず、完成寸前のところで、ロートン博士を殺害し、かつティマも破壊しようと、ロートン博士の施設ごと燃やしてしまう。
そこに、ロートンを追って、ZONE1へ入っていたヒゲオヤジ警部とケンイチが駆けつける。二人は崩壊寸前の建物へ。そこで、ケンイチは一人の少女を見つける。それはロートン博士が開発していた最新鋭のロボット・ティマだった。
かなりいろんなところが、無茶苦茶に見える映画だということは前もって断っておきます。ストーリーも、行き当たりばったりに見えるところや、変に人物相関図が複雑すぎるところなどがあり、しかも、演出として、常識から考えると首を傾げてしまうようなところもあるでしょう。自分としてもそこは認めざるをえない映画なのです。しかし、個人的には大変素晴らしい映画だとも思っています。
原作は、周知のとおり、有名な手塚治虫の漫画「メトロポリス」です。映画序盤は、意外にも、手塚治虫の漫画のテイストにかなり忠実な内容になっていると言えます。手塚漫画のテイスト――特に初期の手塚漫画にあったテイスト――を、アニメ用に上手いこと変換して表現しているのです。
例えば、宝塚歌劇団の劇を参照したと思われる、細かくまで描かれた大衆たちが、ガヤガヤとせわしなく動き回っているさまや、独特の肩透かしギャグが、妙なタイミングで入ってくるあの感じ、お馴染みのキャラクターたちのどこか気の抜けた感じなど、あれらが見事に再現されています。
この映画の始まり方からすると「きっとこの映画は原作のメトロポリスを忠実に作ったんだ」と勘違いしてしまうことでしょう。それくらい、綺麗に再現しています。ただし、メトロポリスを忠実に再現しているのは、本当に、序盤中の序盤まで、です。
それ以降は、だんだんと、この映画オリジナルの要素や、他の手塚漫画の要素などが巧みに入り混じっていくようになっていきます。例えば、途中のとあるシーンは、手塚治虫版の「罪と罰」を非常に連想させるところがありますし、また、細かいシーンで「火の鳥」を連想する人もいるのではないでしょうか。かつ、アニメ版ではない、原作の「鉄腕アトム」も念頭に入れているところを感じさせます。
それら全ての要素が、りんたろう監督の、あの独特のセンスでごった煮のように混ぜられているのが本作だと言えるでしょう。
しかし、だからこそ、この映画はものすごい傑作になっています。
原作の「メトロポリス」でも、「鉄腕アトム」でも、「火の鳥」でも描ききれなかった、手塚治虫のロボットへ抱いていた「一つの哲学」を、この上ない形で完璧に結実させることに成功しているのです。
また、この映画は音楽の使い方が、僕が今まで見た映画の中でも、一二を争うレベルで上手いです。
全体的にジャズで統一しているところも、非常にグッときます。なにより、クライマックスにあの曲を使ってしまうところは最高でしょう。変に悲愴かつ荘厳な音楽を使わず、あえて、悲劇的な場面等に、陽気に感じられる曲を入れ、悲劇性をより高めるという、的確な”対位法”をここまで使いこなせるのは、さすが、りんたろう監督といったところでしょうか。