映画感想:凪待ち
恒例の手短な感想から
僕らは既にあの波に飲み込まれている
といったところでしょうか。
本作、「凪待ち」は元SMAP改め、新しい地図の香取慎吾が主演を務めている作品で、なおかつ、本ブログで絶賛した「日本で一番悪い奴ら」の白石和彌監督の最新作です。
白石監督は非常に多作な監督であり、また必ずしも毎回良い映画を確実に撮ってくるタイプの監督ではないため、基本、自分は評判の良さそうな作品が公開されているのが偶然目についたら、見に行くというスタンスで鑑賞しているのですが……今回はいろんな人の評判を聞くかぎり、鑑賞して損のない内容らしいので、鑑賞いたしました。
感想としては、想像以上に一昔前の純文学的な、芸術映画と捉えることも出来る映画だなぁというのが自分の感想になります。端的に言ってしまって、とても感想に困る映画といって良いです。
決して悪い映画だから、感想に困っている訳ではないのです。本作は良い映画であることは間違いないでしょう。ただ、同時にいろいろと困惑する内容でもあるのです。
これは自分に限らず、鑑賞された人のだいたいが感じたのではないでしょうか。
なにせ、本作、普通の映画からすると、描写を集中させるポイントが随分とズレていますから。ほとんど、香取慎吾演じる主人公が、競輪で賭け事をしているシーンになぜかやたらと重きが置かれており、本筋であるはずの殺人事件の話は、謎解きも、サスペンスも、解決も、一応あることはあるのですが、やたらに薄く描かれています。
言ってしまえば、本作は話の主軸であるはずの殺人事件を描く気がないのです。むしろ、そういった事件に影響され、登場人物たちの心がぐちゃぐちゃと変わっていくさまを描くことに注視しています。
例えるならば、本作はチェーホフの演劇のようなものだと言っていいです。
チェーホフは、様々な問題を抱えた人間のみっともなかったりする面や、人間の感情が時として不条理に移り変わっていく姿や、なんだか中二病じみてて滑稽な姿等々、現実の人間のおかしいすがたをそのまま描いていくことで喜劇としていましたが、本作もそれに近いのです。
ただし、本作は喜劇ではなく、あくまで、感動話の映画にしているのですが。
本作の主人公は、当人も自認しているように、ギャンブル依存症を患っているわりとクズな男です。
そんな男のクズなりに、内縁の妻のことで悩み、内縁の妻が連れる娘のことを考えてみたり、反省したり、それらを経ても、なおギャンブルから抜け出せず、どうしてもギャンブルをやってしまう姿を描いているのが本作なのです。
そういう男をあくまで現実的な範囲で描いているので、普通のエンターテイメントからすれば随分とズレた「え? これ解決してるのか?」と首を傾げるような、なんだかふわふわとした物語の着地を本作はしてしまうのですが、それも仕方のないことなのです。
現実とは、物語のように上手くいかないものですし、そして、同時に物語よりも拍子抜けするほど上手くいってしまうものだからです。そういった「上手くいく、上手くいかない」という塩梅の滅茶苦茶さこそが、現実なのです。現実には、そういった不条理さがあります。
その不条理さに誰であろうと必ず飲み込まれていくのが、人間なのだとこの映画はそう言いたいのでしょう。であるからこそ、この物語の舞台はあの津波という不条理に飲み込まれた町となっており、エンドロールで「いかに何もかもが飲み込まれているか」を見せつけたのです。
ただ、勘違いしないでいただきたいのは、この映画の言いたい「現実の不条理」とは、不幸一辺倒のことではないのです。前述したとおり「拍子抜けするほど、話が上手くいくこと自体もまた不条理の中にあること」なのです。
だからこそ、この映画は拍子抜けするほど、なんだか幸福に終わってしまうのではないでしょうか。