映画レビュー:「劇場版 デジモンアドベンチャー02 前編:デジモンハリケーン上陸/後編:超絶進化!黄金のデジメンタル」
※予告編が見つかりませんでした。今回は、ネタバレをなるべくしないようにレビューしました。
去年、様々な議論を巻き起こした映画として、「おおかみこどもの雨と雪」という映画がありましたが、あのアニメ監督の細田守さん。知っている方も多いと思いますが、元々はデジモンアドベンチャーというアニメの劇場版の監督として名を馳せた人でした。この「劇場版デジモンアドベンチャー」は劇中、延々とボレロが流れ続けている作品で、その演出の妙や、作画のクオリティの高さ、及び、既存の怪獣映画などへの気配りなどから、アニメファンのみならず、映画ファンも唸らせました。また、その後、TVシリーズのデジモンアドベンチャーが完結した後に公開された、劇場二作目の「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」こちらも細田守さんの監督の手腕が見事に発揮され、エンターテイメントとしてのクオリティの高さに、やっぱり映画ファンも感心し、細田守という名前は強烈なインパクトを残したわけなのです。
さて、今回、僕がレビューしますのは、そのウォーゲームの更に後の劇場版。デジモンアドベンチャーというTVシリーズが終わり、さらにその続編、デジモンアドベンチャー02になってから制作された劇場版です。
「劇場版 デジモンアドベンチャー02 前編:デジモンハリケーン上陸/後編:超絶進化!黄金のデジメンタル」(通称:デジモンハリケーン)
タイトルが、前編/後編と分かれているのは、本当に、本編が30分/30分で二つに話がわけられているからなんですね。劇場公開当時は、この前編の30分、後編の30分の間に、同時上映であるおジャ魔女どれみの劇場版が挟まっている、という特殊な公開形態となっていまして、その名残りです。ですが、そのような公開形態だからといって、これがつまらない映画かというと、とんでもない。
むしろ、僕自身は前2作を差し置いて、この映画を人生のベスト10に入れてしまうほど大好きです。デジモンアドベンチャー劇場シリーズの中でも、最高傑作なのではないかと、こう思っているわけです。ただ、この映画は決して万人受けするようなものではありません。それは、この映画が大好きである僕がはっきりと断言します。この映画は、前2作とはまったく対照的なほど、分かりやすいエンターテイメント映画ではないんですね。むしろ、芸術映画なのではないかと思われるほどに強烈で、とてもアバンギャルドな演出がなされている変わった映画です。
監督は山内重保さん。僕は、この映画からこの監督さんの名前を初めて知ったのですが、実はこの監督さんの作品自体は、前々から見ていたんです。この山内さんは、ドラゴンボールの劇場版を手がけていた監督の一人でして、特に劇場版の後期、Zからはこの人が必ず監督か監修で関わっていました。それで見ていたんです。
この山内重保監督の一連のドラゴンボール劇場版は非常に特徴的なものでした。特に傑作である「危険なふたり!超戦士はねむらない」に顕著に現れていましたが、時折、ドラゴンボール劇場版は武侠アクションアニメ映画だというのに、とてつもなく抽象的な表現をやることがあったんですね。
その抽象表現を、究極的に凝縮して、一つの作品に仕上げてしまったのが、今回の「デジモンハリケーン」といっていいと思います。
そのため、映画は始まったその瞬間から、抽象表現のオンパレードになります。作品を鑑賞する際、正直、初見の方はギョッとさせる方も多いと思います。僕も最初は驚きながら鑑賞しましたから。もう、あまりにもアニメ映画として見たことのないようなことばかりをやっている映画だったので「なんだこれー!?」と驚いてしまいました。ただ、驚きながらも、あまりのヘンテコさに戸惑いながらも、しかし、この映画は確かに面白かったんです。
まず、この映画を見てなによりも驚くのは(冒頭の突然、何の説明もなく、あっさりと人が消えてしまうシーンもそうですが)音楽なんですね。音楽が非常に特異です。ブルース、それも、かなり泥臭くて、乾いていて、ゆったりとしたブルースがBGMとして流れていることに誰もが気づくはずです。この映画、とても変わったことに、ほとんど全編のBGMが、この泥臭いブルースか、あるいはコンテンポラリー・ジャズで統一されているんですね。ボレロが全編流れる演出も驚きでしたが、この、ブラックミュージックに統一した演出はその上をいって驚きました。
また、この劇場版で出てくるゲストキャラクターのウォレス。彼もまた非常にアニメとしては変わっていて、母親から離れて、一人旅をしている少年という、まるで、アメリカの映画にそのまま主人公として出てきそうなキャラクターなんですね。彼が英語をペラペラとにかく喋ります。そして、彼の声をあてている声優さんが見事なネイティヴスピーカーで、この演出もまた、度肝を抜かされました。
さらになによりも驚いたのは、画面です。デジモンアドベンチャー劇場版の中で最も奇異なカメラワーク(あるいは、カット割り、レイアウト)と言って差し支えないと思います。とても遠くから景色の中にぽつんと人がいるカットを入れたかと思うと、唐突に、人物の手や足や、顔のドアップのカットに切り替わったりするという、とても異質なカット割り。このカメラワークは、マカロニ・ウェスタンの巨匠「セルジオ・レオーネ」が得意としていたカメラワークでして、つまり、マカロニ・ウェスタンみたいなカット割りをなぜかこのアニメ映画はしているんですね。
そして、この三つの要素が合わさって、なおかつ、例の抽象的な表現がバンバン出てくるこの内容というのは、さながら、アニメ映画でありながら、アメリカン・ニューシネマのようです。実際、とてもアメリカン・ニューシネマ、あるいはマカロニ・ウェスタンのような香りの強い作品だと僕は思うんです。ストーリー自体も、「たとえそれが理不尽であっても失われたものは決して戻ってこない」という、とても乾いた人生観のテーマが漂っています。
この映画、前述で、エンターテイメントではないと書きましたが、では、カタルシスがない映画かとそんなことは決してありません。「たとえそれが理不尽であっても失われたものは決して戻ってこない」というテーマは現在の僕たちの胸に強く迫ってくる、他人事と思って見過ごすことのできないテーマであると思いますし、実はこの映画は終盤、とても難解な展開が続きますが、それと同時にとても泣ける演出を多用してもいるんですね。主人公たちを究極なまでに追い詰めていき、その究極に追い詰められた中で、絶望的な中で、それでも諦めない主人公たちの姿はきっと涙を誘うと思います。「失われたものは戻ってこない」というテーマにある、一種の悟り・諦め、それが結実し、あるキャラクターにある行動を取らせるクライマックスは誰もが胸を打たれることだと思います。
この不思議な映画を、一度でいいので見てみてください。合わなかったらそれでいいんです。ただ、60分という短い上映時間ですし、決して投げ出さず、最後まで見てください。それから、この映画の評価を決めても全然遅くないはずです。
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2017/6/29追記
本作品の簡単な解説を書いておきましたので、鑑賞後、こちらのページに迷い込んだ方はこちらもどうぞ。