映画感想:グリンチ
恒例の手短な感想から
そうそう!これが見たかったグリンチ……じゃないわ!
といったところでしょうか。
少なくとも、だいぶ前にあった、ジム・キャリーがよく分からない仮装してだいぶ無理があるグリンチを演じていたあの「グリンチ」よりかは、本作はマシな出来であるとは断言できます。
むしろ、物語の始まり方や、おなじみのグリンチのメインテーマ――を、一部サンプリングしたと思しき、メインテーマ楽曲とともにどんと出てくるグリンチの絵面などには「おぉ! これは、ひょっとして、ちゃんとしたグリンチになっているんじゃないのか?!」と胸を踊らされるところもあるのです。
全体的に、アメリカで有名な、チャック・ジョーンズ監督作のグリンチ映像化作品「いじわるグリンチのクリスマス」も、かなり念頭に入れて作ったと思われるオマージュシーンも多数織り込まれており、そういった「みんなが思うグリンチらしい絵面」の再現に関しては、本作はほぼ完璧と言ってもいい出来でしょう。
正直、自分も前半までは手を叩いて納得していたのです。「これは、なかなかに、グリンチだ」と。
元々のグリンチからすると、だいぶ愛嬌がありすぎるキャラクターデザインになっていること、そして、チャック・ジョーンズ作を見た人なら誰もが入れてほしかったであろう「サイケデリックで、極悪なグリンチの”オリジナル笑顔”」が入っていないことを除けば、大きな不満点もなかったのです。
しかし――。
しかし、と書き綴ったということは、だいたいの人が想像つくかと思われますが、後半になると、これがだいぶ調子が変わってしまうのです。
後半はもう誰が見ても――原作を知らない人が見ても――「なんなんだ、こいつ?!」と思ったことでしょう。
あのやたらに太ったトナカイ。グリンチ界のジャー・ジャー・ビンクスと言っても過言ではない、予告編の時点では、あんな意味の分からない話の関わり方をしていたとは、到底想像がつかない、アイツ。
まあ、映画を見た誰でも「お前、なんのために出てきたんだよ!」と驚愕したことだと思われます。安心してください。原作をそれなりに愛好している方たちは、驚いて2メートル飛び上がっているあなたたちの、はるか上を飛ぶレベルで驚愕していましたから。
原作にこんなやつ居なかったぞ、と。
しかも、それ以外のキャラクターは全て原作に登場している通り、なんなら、街の人達の様子までチャック・ジョーンズ版と原作の中間みたいなデザインにちゃんとしているというのに、なぜか、この訳わからないオジリナルキャラクターが「ちょっと出てきて、去っていく」という意味不明な展開に開いた口が塞がらないのです。
そして、なにより自分が苛ついてしまったのは、よく分からないお説教的な演説的な長台詞シーンが、間を開けて三回も出てくる、この映画の構成自体です。
一体、この映画の作り手は、なにを考えているのかと。
「クリスマスはかくあるものである」的なことを言いたげなシーンを、例えば、一つ入れるだけでも、この作品にとっては十分に余計な話でしょう。そもそも、原作のグリンチ自体、そんなお説教シーンなど一つもなく、その上で「クリスマスはかくあるものである」という話がちゃんと出来ているのですから。
そして、そもそも、この映画が言いたい「クリスマス」というものが、なんだかズレているような気がしてなりません。グリンチにヘンテコな反省タイムを入れ、なんだか、長ったらしい懺悔の後で、長ったらしく言い訳しながら彼を受け入れる――いやいや、そこらへんで変に懺悔しなくても、変に言い訳しなくても「クリスマスなんだから、良いんだよ」で済むのが、本当のクリスマスじゃないんですか、と。
いろいろと煮え切らない映画が、本作、「グリンチ」でした。