映画レビュー:一万年、後…。
一万年後の世界にて、中学生であった主人公が家で勉強をしていると、突然と外がざわめき、次の瞬間に、大きな輝きがあって、変なボディスーツに身を包んだおじさんがやってきてしまった。主人公が植木に水をやり、手を洗った後で誰なのか尋ねたところ、おじさんは「電波の狂いのせいで、変なボディースーツのことを思い浮かべた瞬間にここにやってきてしまったのだ」という、「次元と次元を飛び越えてしまった」のだと、そして、主人公に水を差し出され、一万年ぶりに水を飲んで満足するおじさん。主人公いわく、近頃こういうことは良くあるらしい。そして、おじさんは自分が主人公のおじさんであることを告げる。血筋を辿って行くと、一万年前のおじさん、ということになるらしいのだ。
この「一万年、後…。」の監督である沖島勲氏ほど、日本の誰もがその作品を当たり前のように見ていながら、その名前自体がまったく知られていない監督は居ないでしょう。「まんが日本昔ばなし」で放映された二千以上のエピソード、そのうち、1200本以上の脚本をまさかこの人が手がけているなんて、ほとんどの人は知らないはずだからです。
まんが日本昔ばなしというアニメシリーズは、説明するまでもないですが、日本にまつわる様々な昔ばなしをアニメの形式で、延々と放映していた長寿番組です。日本に生まれたある世代までの人間は、大半が見たことがあることと思いますが、このアニメシリーズ、放映当時から異様な話がたまに放映されたりすることでも有名でした。
今考えても、一体、なんの意味でこんな話を放映したのだろうと思いたくなるようなシュールな話、幼少期に強いトラウマを植えつけたような不気味な話など、一筋縄ではいかないシリーズであったことは、日本の大半の人が知っていることだと思います。
そして、この映画「一万年、後…。」は、言ってしまえば、その「まんが日本昔ばなし」にあったシュールな話、不気味な話のあの不思議な感触を、色濃く実写で再現した映画だと言えます。事実、間のとり方といい、細かいセリフのなんだか怖い感じ、設定の奇妙さといい、全てが「まんが日本昔ばなし」テイストのシュールさになっています。さすが、沖島勲監督といったところでしょうか。
この映画は端的に言って「まんが日本昔ばなし」で描くソラリスです。タルコフスキーのソラリスは、ただただ、猛烈に眠くなるうえに、話も画面も演技も演出も全てがボヤーッとしているものでしたが、この映画はそうではありません。全体的なテイストは、日本の懐かしさやノスタルジーをつくりあげつつ、そこに非常に単純なギャグと、難解なギャグと、よく分からない描写と、なんだか不気味な瞬間を絶え間なく挟んだ作品となっています。
この映画は非常に尺が短く、エンドロール含めて78分で終わってしまう小さな映画です。しかし、見終わったとき、おそらく大抵の人は「三時間くらいあった文芸大作映画」を見終わったかのような気分になるはずでしょう。なぜなら、この映画は短い尺の中でそれだけのものを閉じ込めてしまった傑作だからです。